森 靖之です。
新宿花園神社の宮司片山文彦氏の意見の引用ですが、昭和42年ウズベキスタン、タシュケントの大地震の際、建物の9割が崩壊したが、ソ連に抑留された日本人捕虜の手で昭和22年に完成した、ナボイ・オペラ劇場だけは無傷で残ったという。片山氏は、戦前の教育では、神様がいつでも見ているとの意識が子供の頃から植付けられていたのではないかといわれる。
抑留という身で、しかも異国地の劇場を手抜くことなく作り上げた技師の心意気に私は感じ入る。
また最近の姉歯事件で提起されたものは、単に個人の倫理問題ではなくシステム、仕組みの問題であろうが、そのような背景に、戦前の物作りにかける意気込みと近年の拝金主義的浮ついた風潮との違いを感じる。
専門家の倫理も結局このような人間としての倫理に戻るものではないだろうか。問題はこのような職人気質や物つくりの専門家の誠実さを、社会が評価できるかどうかである。マネーゲームとしかいえないような、相場や違法すれすれの操作による成金に若者があこがれる社会はどう見ても健全ではない。そのような社会で、専門家だけが倫理倫理と攻められてはしらけてしまう。
学校でも家庭でも、子供達に人として倫理教育をしっかりやって、社会の風潮をまっとうなものにし、健全な社会にしたいものである。そのとき初めて専門家の倫理教育も地に足がついたものになるだろう。