九州新幹線開業に思う

3月13日に九州新幹線の新八代・鹿児島中央間127キロが開業した。いわゆる整備新幹線5線のうち、1997年10月の高崎・長野間、2002年12月の盛岡・八戸間に続き3番目の開業である。この開業により南九州の経済の活性化や観光事業の振興が期待されている。ただ、これまで新幹線の建設は、たとえば東京・新大阪がまず出来て、次に岡山まで、そして博多へと首都圏から順次伸ばしてゆくのが普通だったが、今回は博多・新八代を飛ばしての開業と言うことで、奇異に感じている方も多いことと思う。
整備五線は全国新幹線鉄道整備法の規定により1973年に整備計画が決定された。ところがオイルショックとそれに続く総需要抑制策により着工の見通しが立たなかった。1970年代後半になって地域住民の方々やその代表者である知事・議員等からの早期着工の要望が強く出されるようになり、その建設の是非について1979年度に大掛かりな調査が行われた。その内容は、建設費の見直しやその低減策、需要予測、線区ごとの収支見通し、新幹線の開業が地域に与える経済的・社会的効果の程度、さらには沿線地域の振興策にまで及んだ。それぞれの結果をここに述べる余裕はないが、全体としての結論は、整備新幹線の地域に与えるインパクトは大変大きいが。建設費も大きいことからその資本費負担を軽減する方策が必要である。また地域の経済を活性化するには新幹線にだけ頼るのではなく、適切な地域振興策を同時に進める必要があるというものであった。
整備新幹線の建設についての政府・与党申合せでは、この成果を大幅に取り入れ、着工の前提として、(1)建設費の財源を確保するため、国費の他に、本当に新幹線が必要と考える住民の意思を反映させて地方公共団体の負担も考えること、(2)新幹線と並行する在来線は新幹線の開業により大幅に輸送量が減るので、これまで通り運営することは問題があるから、廃止するか別の組織に移管して合理化策を考えること、(3)環境アセスメントを行って沿線住民の理解と協力を得るようにすること、などが示された。その後、財源の確保やJR各社との問題点を整理し、この条件がまとまったところから着工することになったものである。
この新八代・鹿児島中央間も当初は、新幹線用の橋梁やトンネル、盛土などの構造物を造り、その上に在来線と同じ幅の軌間(ゲージ)の線路を敷いて在来線の特急列車を走らせるスーパー特急方式が考えられていたが、博多・新八代間についても条件が整って着工することになり、フル規格と呼ばれる軌間1435ミリの新幹線としたものである。博多・新八代間が完成するまでは、乗客の乗り継ぎを考えて在来線から新八代駅にアプローチ線を造って同じホームでの乗り換えができるようにしてある。
いずれにしても、この新幹線が安全・大量輸送交通機関としての使命を果たし、地域の発展に役立つことを願うものである。