海上の廃棄物処分場

海上の廃棄物処分場では、有害物が外に漏出しないように、矢板で止水されていますいますが、この設計の前提は絶対に漏れないということなのでしょうか。あるいは、ある程度の漏出は許容しているのでしょうか。その場合の許容値は、どのように定めるのですか。
海上の廃棄物処分場では、有害物が外に漏出しないように、矢板で止水されていますいますが、この設計の前提は絶対に漏れないということなのでしょうか。あるいは、ある程度の漏出は許容しているのでしょうか。その場合の許容値は、どのように定めるのですか。
最近友人から、第二東名の圏央道への取り付け方は公表されていない。
首都圏の取り付け方も不明な計画は国民の支持が得られないのでは?との疑問をぶつけられました。
事実関係をご存知のかた教えて下さい。
またこの情報へのアクセス方法も合わせて教えてください。
土木工学科に所属する大学生です。土木関連の資格は色々とありますが,土木業界に就職を希望する際に,役立つ資格もしくは持っていた方が良い資格を教えて下さい。
阪神大震災が起きたときには,東京で大地震が起きたら大変だ,というテレビ・新聞をよく見かけました。最近ではほとんど目にしないのは,対策が完備されたからなのかもしれませんが,住んでいて実感がありません。東京の地震対策として,具体的に何が,どう変わったのですか?
ヨーロッパなどの街では電線が見えず,すっきりとした街並みです。一方,日本は住宅地・繁華街をとわず,頭上に電線が張り巡らされていて,雑然とした印象を受けます。日本でも電線を隠して,スッキリした空が見えるようにならないのでしょうか?
【土木学会平成15年度全国大会実施大綱】
1.実施期間:平成15年9月24日(水)〜26日(金)
2.実施場所:徳島大学(常三島キャンパス)
但し,特別講演会と特別討論会は、徳島市立文化センター
交流会は,ホテルクレメント徳島
3.行 事:
1)特別講演会
期 日 : 平成15年9月25日(木) 午後
会 場 : 徳島市立文化センター
2)特別討論会
期 日 : 平成15年9月25日(木) 午後
会 場 : 徳島市立文化センター
3)第58回年次学術講演会
期 日 : 平成15年9月24日(水) 午前、午後
平成15年9月25日(木) 午前
平成15年9月26日(金) 午前、午後
会 場 : 徳島大学(常三島キャンパス)
4)研究討論会
期 日 : 平成15年9月24日(水) 午後
平成15年9月26日(金) 午前
会 場 : 徳島大学(常三島キャンパス)
5)交流会
期 日 : 平成15年9月25日(木) 夕刻
会 場 : ホテルクレメント徳島
6)学生交流会
期 日 : 平成15年9月24日(水) 夕刻
会 場 : 徳島大学(常三島キャンパス)
※年次学術講演会の応募締切は,4月初旬となります.
実施要領,申込方法については,学会誌2003年2月号および,
土木学会ホームページ http://www.jsce.or.jp/committee/zenkoku/ に
掲載いたします.
年度末になると何を直しているのか判らない道路工事が増え,本当に必要な工事なのか疑問を感じます。予算消化をしているだけではないでしょうか?必要としてもなぜ年度末に集中するのですか?
みんな読んでる「小泉内閣メールマガジン第72号 2002/11/28」に
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/
養老孟司氏が特別寄稿しています。
最後の部分
「技術も行政も日本全体に一律であり、人々は「そうでなければならない」と、
なぜか思いこんでいるのである。」
は土木技術に対する苦言でもあるでしょう。
(続き...)に抜粋をのせておきます。[特別寄稿]
● 日本とはなにか(北里大学教授、東京大学名誉教授、食料・農業・農村
政策審議会委員 養老孟司)
東北、関東、中部、近畿、中国というふうに、本州は五つに区分される。
これはふつう行政の区分、つまり人間が分けた区分だと思われているはずで
ある。
約一千万年をさかのぼると、この区分は島の区分だった。本州はほぼこの
五つの島が集まってできた。
もちろん一千万年前に、ヒトが日本列島に住んでいたわけがない。日本列
島にヒトがやってきたのは、せいぜい十万年前というところであろう。
そんな古い区分が、なぜ行政区分になるのか。
静岡県の例をとろう。ここは古くは駿河、遠州、伊豆という三つの「国」
である。駿河と遠州の境は中央構造線で、伊豆は百万年ていど前には独立の
島だった。それなら静岡県に対する昔風の三区分は、じつは自然条件の反映
である可能性が高い。それを静岡県という一単位にしたのは、徳川さんのお
膝元だったからであろう。
ヒトが日本列島に住んでいなかった時代の自然の区分が、行政区分に影響
する。それは昔の人が自然条件に制約されて生きていたからであろう。縄文
時代人なら狩猟採集が生活だから、植物や動物の微妙な違い、微気象の違い
が、長い間に生活や文化の違いとして表現されたに違いない。生物は進化も
するが、他面ではきわめて保守的である。日本列島に生息する虫の一部は、
列島が島に分かれていた一千万年前の状況を、いまだに保存していることが
知られている。
こうして、われわれが人為的と見なしている地域の区分にも、自然条件が
大きく影響している。もちろん逆もまた成り立つ。昆虫の分布や地質学から
いうなら、たとえば対馬は朝鮮半島に属し、沖縄は中国に属する。しかしそ
れが日本という国家に属するのは、人間のほうの都合である。
国境を見直せとか、そういうことをいいたいのではない。現代人はすべて
は人間の都合で動くべきだと思っている。そこをもう少し反省すべきではな
いかといいたい。
自然保護とか、環境という表現でいわれてきたことは、そのことである。
現代の技術はそうした微妙な環境条件を単調なものに変えてしまう。つまり
乱暴なのである。その乱暴さを引き起こすのは、無知である。中央構造線を
境に昆虫相が変わることは、昆虫に興味を持つ人なら、よく知っている。そ
れならたとえば、そういう地域での自然の変更は、他の地域より注意深くな
ければならないはずである。しかし技術も行政も日本全体に一律であり、人
々は「そうでなければならない」と、なぜか思いこんでいるのである。
※ 執筆者の紹介
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2002/yourou.html