森林の機能について(土木学会誌叢書?を読んで)

河川計画に関する仕事に携わっている者として、「土木学会誌叢書?」[事務局注]を興味深く拝読しました。
第1回の2つ目のサブタイトルと第6回のメインタイトルが殆ど同じでありながら内容はニュアンスが違うようであり、面白く感じました。
森林の機能に関しては日本学術会議の答申(「地球環境・人間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能の評価について(答申)」(平成13年11月)があり、それを踏まえた議論があっても良いのではないかと思います。

[事務局注: 刊行間もない土木学会の書籍です]
書名:「土木学会叢書? 生命環境を守る緑」
編集者: 土木学会誌編集委員会、発行所: (社)土木学会、発売所: 丸善(株)
発行日: 平成15年11月28日、定価: 1800円(税別)、ISBN4-8106-0455-1
内容:
 第1回 森が生命環境を守る
  一、森林の機能と緑の質を考える
  二、森林が水を養う
 第2回 緑によって道路の価値を高める
 第3回 荒漠地に緑をとりもどす
 第4回 緑が湖と海を守る
 第5回 緑が川の生態系を守る
 第6回 森が水を養う
  一、森林の公益的機能の限界と可能性
 第7回 森が水を富ます
 第8回 緑が都市を変える

学会誌配達時の封筒に対する要望

どうもみなさんお世話になっております。学会誌の件なのですが。

学会誌が郵便ポストに入れられるとき、いつも縦に折られて入れられてしまいます。ポストマンにしないよう最寄の郵便局にお願いしたのですが、ポストマンが交代しているのか、やはり折られて入れられてしまうことが多くあります。
学会誌の封筒に「二折厳禁」などと明記してもらえるとありがたいのですが。宜しくお願いいたします。

日本の土木工事の品質は悪いのか?

 学会誌10月号太田先生の記事に関して、すでに岡崎さん達(11月20日)からご意見も出されており同感ですが、少し異なった観点から意見を述べたいと思います。
 私は日本の土木界について、自己評価や議論が不十分だと感じます。太田先生の土木の現状に関するご認識は多くの土木技術者にとって違和感を覚えるものと言えると思いますが、皆さんどうお考えでしょうか?
                              このような論文が掲載されることはそれなりに意味がありますし、ご提案の骨子そのものは一般論ですから全く異論もありません。問題は土木に対するご認識です。
 現在土木に対する偏見や誤った記述や発言に対して反論しない、黙って実行すればよいといった「男気?」が土木に対する偏見や誤った認識の蔓延を助長しています。(かく言う私も発言が遅れましたが。)ましてや今回は土木学会誌です。学会員が黙っていることは問題です。
 大きな問題は、「土木学会の倫理規定は技術者倫理が失墜したから改定した」、「土木工事の品質は悪く、土木従事者が手抜きをすると得をする仕組みである」としておられることです。
 私は土木学会の倫理規定の精神はもっと高い志によるものだと思いますし、一方日本の土木工事の品質は、私が知る限り世界でもトップクラスでしょう。ただしそのデータを見たことはありません、ご存知の方居られませんか?
「手抜きをすれば得する」というのは、民間建築はいざ知らず、土木の世界では一般的ではないでしょう。
 もちろん更なる向上を目指すことは我々技術者の責務ですが、批判をされるなら類推や風聞によるのでなく事実に基づいて行われるべきでしょう。
 関係者・専門家のご意見を賜ればと思います。

HP(企画委員会)のリニューアル

企画委員会のHPが2000.11から変わっていません。
社会に向かって情報発信することを提案し、JSCE2005を担当した企画委員会としては少し問題ではないでしょうか。
 企画委員会の名簿もそのままです。
(ある人から指摘を受けました)

学会誌10月号 太田和博教授の論説について

 標記論説「土木従事者の誇りのために土木学会がなすべきこと―消費者指向型の社会資本整備システムの構築を―」について、極端な違和感を感じましたので、遅くなりましたがコメントを投稿させていただきます。

 太田先生は、今の土木のシステムにおいて、「土木従事者」が「消費者」(=国民)の要望を満足していないことを、その主な論点としておられるようですが、私が第一に違和感を感じるのは、この論説では「土木従事者」と「土木技術者」(「土木計画者」または「土木研究者」という表現も見える)とを区別して書いておられることです。御自身のマンションの施工不良(?)の例を引用されて、その原因は「建設部門」(=「土木従事者」)が「営業部門」の圧力に負けて「手抜き工事」をした事だと、言っておられます。そして、結びの部分では、このようなシステムの中で、「土木従事者」が「手抜き」をしないよう監視するのが「土木技術者」であり「土木学会」である、といっておられます。この認識は如何なものでしょうか。
 建築と土木が、そもそもシステムとして異なることは、とりあえず横に置いておくとしても、「土木従事者」が「営業」や「土建業者」の僕(しもべ)であって、上部の利益のために国民の要望に反する事をするというのは、いくらなんでも酷いと思います。
 土木学会の目指している一番大事な事は、「土木従事者」であれ、「土木計画者」であれ、「土木研究者」であれ、それぞれの立場で、ひとえに「公共の福祉」のために働く(個別の利益に従属しない)事だと思います。そして、土木学会の会員は全員、そういう気概で日々の仕事に取り組んでおられると思います。ここの認識は、是非改めて頂きたいものだと思います。

 更に、太田先生は、今の世に「国家百年の大計」を考える者は1人も居ず、土木業界の利益しか眼中に無い、と言っておられますが、何を持ってそのように言い切られるのか、全く理解できません。マンションの「施工不良」の例をもって、国土政策を含む「土木のシステム」全体を決め付けられるのは、幾らなんでも如何なものかと思っています。

藤井道路公団総裁の解任を支持

 藤井道路公団総裁の解任を支持します。世論と乖離した総裁の行動・発言には落胆を禁じ得ません。藤井総裁は、技術官僚・土木技術者の恥。一刻も早い解任によって、技術者の良心を訴え、国民の信頼回復に、土木学会としても総力を挙げて行動すべきです。

(事務局からの注意書き)

 このご意見を掲載すべきかどうか事務局内で議論が分かれました。その理由は、最後のフレーズに「土木学会としても・・・」という一文がありますが、学会として個々のご意見を何ら支持するものではないからです。本来であれば、この一文は削除させていただく所です。
 匿名によるご投稿でなく、ご連絡をとれる形でのご投稿であれば修正をお願いし、ご回答をまち、掲載の可否を判断するところですが、このご投稿に関してはその手続きをとることができませんでした。一方、当サイトでは匿名のご投稿も可能としていることから、この様な事務局からの注意書きを掲載させていただくことといたしました。
 事務局としては、「経営トップとしての身の処し方」や「公聴会に至る手続き」など幅広い意見交換がなされればと思います。

もっとやさしいサイトにできませんか?

友人に土木学会の当サイトを紹介したところ以下のような感想が返って来ました。

まずHPのトップページが、いかにも専門家用でしり込みしてしまう。
いかにも場違いな所に入り込んだ感がある。
もし一般の人を歓迎するならその趣旨を書いたらどうだろうか。
また一般の人の入り口と専門家用の部分とは分離してはどうか。

次にJSCE/jpはもっと難しい。何がなんだか操作に苦労する。
そもそも投稿をする手順がわかりにくい。ログインのページは紹介なしにはいじる気がしない。

一般の人にとっては、「土木って何」なら見ようかなという気になるそうです。

以上ご参考まで。

ボックスカルバートの土かぶり

【ボックスカルバートについて】
高盛土道路の横断ボックスカルバートの設計において、ボックスカルバートの土かぶり基準がコントロールポイントになり、盛土高がしばられることがしばしばあります。最近、床版タイプのボックスや、頂版だけPC、鋼板とのサンドイッチなどいろいろ出てきていますが、どのようなタイプが望ましいと思われますか?(現場条件・施工条件その他制約により変化するとは思いますが)また、どのような問題点が予想されますか?
抽象的で申し訳ありません。

記事はいつ「書庫」に入るのでしょう?

記事はやがて書庫に入れられるようですが、そのタイミングはどうなっているのでしょうか?

中には後からでも意見がほしいもの、つまりあまりタイミングの関係ない記事もあります。
たとえば「環境」#15の養老教授の技術論に関するものもその例かも知れません。

ちなみにこの記事では「この記事、質問、意見にはコメントできません」
のあとに「どんどん、ご意見ください」の文がついています。

道路公団民営化―採算性のみで議論してよいのか

道路関係公団民営化の議論のなかで、採算性の議論ばかりが目につくのが気になります。
明治の先人たちが、現在の鉄道網をほぼ完成させたのは、日清・日露戦争を始めたいへん財政状況の厳しい時代でした。そのようななかで、工夫しながら鉄道建設を進め、我々に資産を残してくれています。
「採算を無視してでも必要なものは作れ」などと言うつもりはありません。採算性が大変重要な要素であることは当然です。しかし、都市生活や物流、人々の交流や医療などに高速ネットワークはまだまだ必要です。
当然のことながら、採算性の観点から厳しくチェックし、料金では整備できないところは税金の投入が必要です。だからといって既存の高速道路から得られる収入を使って整備する手だてがあるのに、それは二の次にしてまず債務返済を第一優先にするのであれば、本末転倒ではないでしょうか。