学会誌10月号 太田和博教授の論説について

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ユーザー 岡崎康生 の写真

 標記論説「土木従事者の誇りのために土木学会がなすべきこと―消費者指向型の社会資本整備システムの構築を―」について、極端な違和感を感じましたので、遅くなりましたがコメントを投稿させていただきます。

 太田先生は、今の土木のシステムにおいて、「土木従事者」が「消費者」(=国民)の要望を満足していないことを、その主な論点としておられるようですが、私が第一に違和感を感じるのは、この論説では「土木従事者」と「土木技術者」(「土木計画者」または「土木研究者」という表現も見える)とを区別して書いておられることです。御自身のマンションの施工不良(?)の例を引用されて、その原因は「建設部門」(=「土木従事者」)が「営業部門」の圧力に負けて「手抜き工事」をした事だと、言っておられます。そして、結びの部分では、このようなシステムの中で、「土木従事者」が「手抜き」をしないよう監視するのが「土木技術者」であり「土木学会」である、といっておられます。この認識は如何なものでしょうか。

コメント

ユーザー 匿名投稿者 の写真

私はまず,土木学会誌にこのような土木に批判的な記事を掲載する,ということに,土木学会の度量を感じ,嬉しくなりました。一方,このような記事が出来上がるということは,少なくとも世の中のある一定数は,土木に批判的もしく否定的な印象を持っていることを改めて感じ,残念に思いました。
これは,土木学会もしくは土木技術者が持つ自己イメージと,一般社会が土木に持つ外からのイメージに,乖離があるということではないでしょうか。
私が太田先生の記事で考えたのは,公共事業が中心となる土木業界だけに,納税者からの批判は絶えないことでしょう。まずは世の中からの批判(建設的な意見は特に)を傾聴し,反省するべき点があれば正す。そして正しい点については,どうしたら頑張っている土木を世の中の人たちに理解してもらえるか,何が足りないのかを考えるべきなのかな,と感じました。
必要なモノを適正な価格そして確実な品質で造っていることを,世の中に理解してもらえるようにする技術(プレゼンテーション技術?広報?)も,21世紀の土木技術の一つと考えるのは,飛躍があるでしょうか。

ユーザー seki の写真

 岡崎さんの投稿を読ませていただき、改めて太田先生の記事を読んでみました。確かに岡崎さんの指摘はごもっともだと思います。
 太田先生の記事の中で私が特に気になるのは、先生が最後に提言されている「学会が先導し確立すべきシステム」、「消費者である国民の利益に直結し、かつ土木従事者が誇りをもって働くことのできる環境を整えるシステム」です。この提言に至る経緯に対するご意見は様々あろうかと思いますが、学会員としてこの様な形で、社会に貢献していくことに異を唱える方はおそらくおられないのではないでしょうか。
 現に学会では、今年の総会で「JSCE2005」を発表し、社会との連携機能の充実を今後の目標に掲げていたように思います。確かに、現在利用しているこの様なサイトは、チャットのようにレスポンス良く様々な方の意見を伺う上で良いシステムだと思いますが、それ以外のホームページの内容はあまり変わっていないように思います。
 「JSCE2005」というのですから、2005年までの目標と解釈するのでしょうが、どの様な形になって表れるのか注目していたいと思います。

ユーザー ふくしま の写真

太田論説のような批判を真摯に受け止めることは大変重要なことかと思います。
しかしながら、確かになんだか違和感が残りました。

(私にとって、マルクス経済学も近代経済学も区別は明確ではないのですが)
土木従事者、土木技術者、土木計画者などを対立構造として登場させるあたりは、資本家と労働者が完全に区別され対立する経済学モデルを連想してしまい、社会科学者・経済学者ならではの見解だと感じました。
その割に、これら登場人物の定義が明確ではなくて、例え話によって余計にわかりにくくなっている印象です。

本論説のいう通り「国家百年の体計」を考えている者がいないとするならば、同時に今現在の消費者も「国家百年の体計」を考えていないことになります。そんな消費者が自分本位で計画立案することが、国民・日本全体のためになるとはとうてい思えません。
消費者指向だけではなく、全体をバランス良く見渡して評価することがどうしても必要だと思うのです。
#「国家百年の体計」を真剣に考えている土木技術者は、大勢いると思います。
#一般国民だって、子や孫の代まで考えれば、百年なんてすぐです。

土木学会の倫理規定についての私個人の勝手なとらえ方は、倫理観の欠如・公共事業批判に対するメッセージという(消極的な)面もありますが、誰に恥じることない公共事業を推進しますという、土木技術者の積極的な決意表明だと考えています。

その決意を具体化する方策のひとつとして、本論説が言うとおり(教育・精神論によらない強制力のある)監理システムは必要で、現行のシステムでは力不足なのかもしれません。

公共事業のチェック機構のひとつとして、会計検査があります。ただこれは、単年度会計に対して国損を与えたかどうかと言う観点が主であり、公共事業全体のチェック機構としては、確かに物足りないかもしれません。
選挙で「都市博」や「ダム」といった事業が、見直された事例はあります。が、個々の事業単位でみれば間接的な監理システムです。

私個人の思慮では、結局何をどうしたらよいか具体的なアイデアがなくて、当たり前の話になってしまうのですが、
・一般市民が事業の計画段階から参加している事例が増えている
・「説明責任」「顧客満足」「IR」などをキーワードに公共事業に関する情報が発信される事例が増えている
・情報技術によって、意見を投稿したり、Web上で意見を表明することが比較的容易になった
以上のような昨今の事例が、一定の試行錯誤の後、よりよいシステムとしてまとまることを期待しています。

ユーザー ふくしま の写真

土木学会誌10月号モニター回答が、土木学会ホームページで紹介されています。

http://www.jsce.or.jp/journal/moniter/200310/koe.htm

モニターの論調は、全体的には「批判は真摯に受け止めるスタンス」であるように読めましたが、
違和感を感じている方も少なくない気がしました。

ユーザー 岡崎康生 の写真

 ホームページの、モニターの皆さんの御意見を読ませていただきました。あんな酷い論説の主張を、素直に受け入れておられる皆様の、度量の大きさに驚きました。私など、人間が出来ていませんので、あんなものを読めば腹が立ってたまりません。
 逆に言えば、土木技術者全体が、世間の「風」を気にしすぎて、これほどまでに自信を失ってしまったのかと、愕然とします。青山士さんが、この論説を読まれたら、どんなことを言われるか大いに興味があります。

ユーザー 古木 守靖 の写真

 岡崎さんの義憤には多くの、特に現場で真摯に土木に取り組んで居られる方々には賛同者が多いでしょう。
 太田先生がマンションでの手抜き工事の経験を土木に当てはめて論理展開されているのも違和感の原因かもしれません。

 さて私もいくつか感想を述べます。
1.公共工事では、会計検査だけでなく検査は厳しく、また手抜き等が発覚すれば長い期間の指名停止などのペナルティーが課せられます。さらに、工事の評点が次の時期の経営審査事項に入っているため良い工事評点を得るよう競争をしていて、とても「手抜きすることが徳」どころではありません。このことは国、公団、県までははっきりしています。(市町村についての知識を持ち合わせていません)
2.日本の土木工事の品質は世界的に見ても高いでしょう。アジア開発銀行の援助事業でも日本の企業の工事は圧倒的に高品質でした。先進国の市場でもシールド工事など品質管理に技術を要求される工事で高い評価を得ています。
3.土木技術者の倫理は、何も犯罪防止を目的で掲げたわけではありません。土木技術者であるがゆえに考えなければならない自然や社会に対する洞察とその結果から導かれる結論に忠実たれ、というのが青山士の思いであったと思います。技術者倫理問題は学会誌での特集を計画中です。
4.品質を確保するための一般論として、太田先生のおっしゃる監視システムは反対するものではありません。またいくつかの問題的事例があるのも事実ですから更なる改善が求められていることは当然です。
 日本の公共工事契約は、企業の技術力の向上に伴って自主施工を導入するなど発注者の管理コストを削減し、企業の工夫を尊重する方向で進んで来ました。しかし入札契約の競争性・透明性を確保する観点からは、欧米流に仕様書の充実、施工管理を第三者が行うなどの入札契約方式の工夫が必要なことは課題です。(民営化はこの点からは問題を内在しています)
 
 いずれにしても、土木技術と土木技術者のあり方を評論でなく自らの問題として、自らが客観的データのもとに議論してゆくことが必要であり、多くの関係者がこのWEBを含めて土木学会を議論・研究・提言の場として活用していただきたいと考えます。