JRの事故はやはり民営化の帰結

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 JR福知山線の事故は、誠に凄惨で、心が痛みます。
 今後色々と、原因究明がなされると思いますが、私は,やはり,今世の中でもてはやされている「民営化」というものの、一つの帰結ではないかと思います。
 勿論、直接的には、運転手の資質やJRの管理体制という問題があるでしょうが、その根っこには、「民営化」だの「規制緩和」だのといって、「効率性」や「採算性」ばかりが優先される、世の中の「流れ」が大きく作用していると思います。今回の事故も、阪急宝塚線との所要時間競争を始めとして、諸々の「競争」が引き起こしたものといっても、決して極論ではありません。

コメント

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 確かに今回の事故に関する報道を見る限り、JR西日本という会社が
私鉄各社との競争のためダイヤ上の余裕を削っていたり、乗務員教育に
疑問の残る部分もあったように思いますが、さりとて国鉄時代に大事故
が皆無だったわけでもなく、また、他の私鉄で同様の事故が頻発してい
るわけでもなく、「民営化」=「効率至上主義」=「事故原因」と考え
るのは、いささか物事を単純化しすぎておられるように思います。

 現段階では、まだ事故の原因が明確になっているわけではありません
が、原因のかなりの部分がR=300mという急曲線に制限速度を大幅に超
えて進入してしまった所にあるように思います。(無論、制限速度は
乗心地で決められているので、あの程度の速度超過だけでは脱線する
はずはありません。他に、軌道狂いや緩和曲線長の不足、タイヤフラッ
トによる軸重抜け、局地的な風、車両の台車と車体の結合状況の不備、
各種外力と車体振動の固有周波数との共振など、検証すべき原因は多々
ありますが)

 その意味では、運転士のその線区への習熟度(慣れているなら、仮に
回復運転をするにせよ、本線上のR=300mを意識せずに運転することはできま
せん)、意識レベルの低下(眠気、疾患等による意識不明など)、ブレーキ系統の
異常(一般的にはフェールセーフになっているので考えにくいのですが)など、何故
R=300m手前で十分減速しなかったのか、が最も重要な部分でしょう。

 これらは、「民営化」云々ではなく、教育、体調管理、車両の整備などに非常にレア
ケースで大事故を引き起こすような複合的な欠陥があると見るべきです。
 

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岡崎さんのおっしゃるように、民営化はこのようなことも生みやすいかもしれない。現在道路で進んでいるコスト縮減が維持管理にしわ寄せされることのないよう肝に銘じてほしい。
ところでJHのOBの友人から面白い話を聞いた。
現場責任が事故などの緊急事態に遭遇したら「社長さん限界でしょ!」を唱えてことにあたるといいというのだ。
すなわち、「謝罪し」「調査し」「原因分析」「改善策提示」「関係者処分」だという。確かに。
その意味で今回のJR西日本の「身内かばい」(日経新聞4・27)にはあきれる。何の調査もされないうちに脱線原因置石説を推定させる記者発表を行うなど、言語道断。さすがに大臣ほか関係者は不快感を表し、警察等当局の心象を悪くした。
他のJR各社ではそのような体質はないと思うが、「社長さん限界でしょ」が役に立つことが起きないようにお願いしたい。
森 靖之

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森です
 追加のコメントさせていただきます。

 JRは民営化によって明らかにサービスが向上したと言ってよいでしょう。

 問題は、今回明らかになったミスを犯した運転手に対するいじめ的研修に代表されるような、非科学的(体育会系的?)なアプローチが現場で行われていても、トップが関心を示していないことです。
仄聞では、私鉄に比べても経営状況がよく、それを誇る記者発表を控えていたとか。

 また、ATCや沿線との遮断構造物の未整備など、インフラと運転や車両性能とのアンバランスも問題でしょう。歩道のない町の街路を100kmで飛ばしているような状況です。

 サービス向上が目的であるのに、定時性が自己目的化し安全性をないがしろにしていたわけです。これは幹部の関心が財務に偏り、技術的裏づけのない精神主義に入り込んでいることかもしれません。

 道路では、コスト縮減の名目でいたずらに維持管理費を削減することがないように祈りたい。

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他のJR各社ではそのような体質はないと思うが、と書かれていますが,
危険速度を乗客をゼロ(顧客を無視した)として「机上の空論」の計算
した鉄道総合技術研究所の【研究開発の目標】には,乗客の安全を最
優先した研究とは,書かれていません。
 安全も低コスト(乗客の命も利益の追求)も同じ尺度基準です。安全
とコストという矛盾する目標は,存在しません。どちらか一方が必ず
最優先です。鉄道総研の基本計画から,乗客に対する安全に対する姿
勢が人目で判ります。
http://www.rtri.or.jp/index_J.html
鉄道総研の基本計画(RESEARCH 2005)
 【研究開発の目標】
 鉄道総研は,
 ○ 信頼性の高い鉄道(安全性,安定性)
 ○ 利便性の高い鉄道(速達性,利便性,快適性)
 ○ 低コストの鉄道(経済性)
 ○ 環境と調和した鉄道(環境調和性)
 の実現を研究開発の目標とします.

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「社会の緩みがこんな事態を生じさせた!」という被害者の遺族の言葉は、まったくそのとおりだと思います。制度や技術を過信したまま効率性を求める風潮が大惨事につながったと思います。

安全性を確保するためには、制度的手法や技術的手法によって安全性を高めることはもちろん大切ですが、「人は時代ともに弱くなっている(いろんな意味で)。」ということを前提に、もしもの時の対策が必要ではないかと常々考えています。

減速しなければ(できなければ)カーブで事故が起こる訳ですから、
鉄道の場合は特に、脱線しても大きな被害とならないよう準備すべきであると思います。

危険な鉄道カーブが現在いくつあるのでしょうか?
例えば、外側に緩衝帯があるのでしょうか?
(専門外なので、無知ですみません。)

これを契機として、社会資本の再点検と改善が進むことを願います。

※身近なところから、勇気を出してがんばろう。

-----------------------どちらかというと民営化に賛成の46才-----

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■「事故原因は民営化によるもの?」というテーマからずれていてすみません。

人はしくみを守れない時があります。装置は故障する時があります。
仮定は崩れる時があります。

制度や技術を過信していないでしょうか?

プロペラが止まっても滑空できるYS11機(飛行機)や真っ二つになっても沈まないボストンホエラー艇(ボート)を思い出してしまいました(古い話ですみません)。自分たちの力量に真摯であった技術者たちがつくった名機名艇だと思います。

実績ある安全対策を継承することによって、はじめて、最新の制度や技術を取り入れた際の、安全性の向上が担保されるのではないかと思います。

※運転再開は、新型ATSの設置を条件にするのではなく、最高速度をたとえば70km/hに機械的に制限した車両で運転再開した後、できるだけはやくATS-Pを設置するという手順でいいと思います。安全対策の見直しには時間がかかるはずですから、。

※「最新装置をつけて、おしまい。」がいちばん恐い。

※4月25日に事故が起きてから今日で10目になります。

--------------------有識者だけの話で終わってほしくない46才-----

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 人間は,自ら経験したことしか,人に教えることはできません。企業は,人間の集団です。JRが民営化された企業だとしても,JRの中核や意志決定をなす人間は,民営化前(国鉄時代)に入社した人間又は,官庁出身や官庁からの天下りが大半を占めます。国鉄時代の経験した者が,民営化以降に入社した新人に対して,真の安全対策を教えることができるでしょうか。官庁職員が民間業者に押し責任を押しつけ,自ら原因を追及しない官庁体質の中核社員や意志決定者で構成された企業に,真の民営化はできるでしょうか。

 危険速度を乗客をゼロとして「机上の空論」の計算した鉄道総合技術研究所。事業運営主体であるJR西日本自らが危険速度を言えない体質。オーバーランや時間に遅れることをに対して人間を処分することで解決する姿勢。スピード違反をしない安全対策を優先せずに,人間のミスがないようにさせる。原因を追及して対策をとる手法を優先させるのでなく,人間の責任を追及することを優先させる。危険箇所を優先的に安全対策を行わずして,一律のばらまき的な安全対策を行う。(脱線事故のあった場所は,8年前に直線+R=600mから直線+R=300mに変更したところです。)

 私も,岡崎康生さんの言われる様に,道路公団民営化や郵政民営化は反対です。最初から民有化された組織に,道路公団を退職し,民間企業に入る意志を持った道路公団職員を受け入れない限り,本当に国民の「選択」にはなりません。

 いまだに,尼崎〜宝塚は開通していません。脱線事故現場に危険速度を列車が超すと自動的にブレーキがかかるATSを設置してから,開通させるのか,開通させてから後で設置するのか。1969年日本国有鉄道入社し2003年代表取締役になった垣内剛社長の決断が,真に民営化されているのか,されていないのか判ります。それが,亡くなられた遺族に対する真の企業誠意です。

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森 靖之です。
 #973さんの最後のコメントはずしりと来るものがあります。
 おっしゃるように、少なくとも、新型のATSの設置(の前倒し)を行い、かつダイヤの見直しを行ってから開通させるのが107名の犠牲者に対する償い(の一部)であり、社会に対する責任の遂行でしょう。

 ただし、このことと真の民営化とは関係ないと思います。仮に国鉄であっても同じことを行うべきだからです。(言葉尻を捕らえてすみません)

 民営化かどうかの抽象論の前に、JR西日本の経営方針に科学的、システム的思考が欠落しているのではないかと心配です。システムアプローチではなく、日本的精神論によって物事を解決しようとすることが再び行われないかということです。
 具体的には、万が一のリスクを考慮した安全速度の設定、人間のミスをバックアップするATSなどの施設整備、オーバーランの許容範囲の変更か駅への進入速度の変更、したがって駅間の所用時間に余裕を持たせる、あるいは運転手の適性判断の検討等々を検討して情報公開してもらうべきではないでしょうか?
 

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ちょっと遅くなりましたが民間の立場から民営化についてコメントします。

民営化や規制緩和は鉄道の事故につながるという考えであるが、民営化や規制緩和を行なっても努力すれば安全性や公共性は確保できるはずである。

JRなどの鉄道や航空関連事故は官営でも民営でも昔から大事故は起こっており民営化がその原因ではない。

本来民営化の目的は、役所やOBの天下り法人が関与するとその権力や意向により納税者や預金者の金の流れが不透明になったり、また公共性の名の下に自分に有利な便宜をはかったり無駄遣いや不正行為を正当化したりすることができるので、これらを防止することが一つの目的である。

このような民営化の目的の下に、企業のトップから現場の人達までモラルをもってサービスを行い、安全性や公共性を確保しつつ技術と競争により効率性や採算性を図ることが民営化の趣旨ではないか。

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 森靖之です。#978さんのおっしゃる理想には反論の余地がありませんし、私も民営化が事故の原因という言い方は舌足らずだと考えます。そもそも国鉄時代の親方日の丸体質は問題が多すぎましたし、JR民営化によるサービス向上は異論はないところで、一般論として民営化は良いと思います。
 が、問題は、世の中は#978さんのような専門的でまじめな方ばかりではないことです。
 やはり民営化の弊害も問題です。現在世の中では民営化万能のように捕らえられている面があります。
 仄聞ですが、JR西日本の株主は20%以上が外国資本で、高配当志向が強いとか。
 JR西日本では「稼ぐ」が最重要目標とされていたそうですが、株主第一の少し時代遅れの資本主義の悪弊が出たのではないでしょうか?配当を何割か下げてATS整備の回すことも理論上は可能だったでしょうし、また、親方日の丸時代なら、今のようなスピード競争はしていないでしょうから、ダイヤの遅れをスピード超過でカバーすることもあまりやらなかったのではないでしょうか?
 これは民営化の悪い面です。このような行き過ぎの是正は民間企業自らでは困難です。
 実は安全は企業の利益のためにもきわめて重要と、今ならいえますが、JR西日本に果たしてそのような認識あったでしょうか?なかったでしょう。それは前日の記者会見でATS-Pの早期整備を躊躇していたのに、国交大臣の発言のあとではそれを翻した事実からも明らかです。
 このような点を肝に銘じて、役所に対して国民の監視が必要なように、民間企業にも監視が必要だと思います。JH民営化にとっても他山の石とすべきです。

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#978です。
森さんのご意見有難うございます。民営化が弊害を伴うことは同感です。しかし株主の利益優先となる民営化が事故原因とする点については今ひとつ納得できないところがあります。

というのは、これまで大都市の民営鉄道は、たとえば事故時の福知山線以上の過密ダイヤ?を敷いているにも関わらず今回のような大事故が起こっていないということです。これは既存の峰意鉄道が採算性を重視しながら可能な限り安全対策を取り過密?ダイヤ確保の工夫しているということではないでしょうか。

逆に言うと今回の事故の原因とされる過密ダイヤを実行するにはそれなりの安全確保の方法と対策が必要であるにも関わらず無視されていた種々の面があると推定されます。その中には民営化前の親方日の丸体質や観念を潜在的に持っている経営層・管理層がまだ大部分を占めているということも遠因と推定されます。

なお国交相は新式ATSを配置の義務付けを指示されているようですが、新式ATSは人間が作ったものであり100%安全を確保できるとは思われません。新技術や改良設備だけではなく管理体制や人材や専門技能者の育成と投入等も新ATS導入をカバーするために経済性、採算性を考慮しながら必要です。

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 私の、決して極論とは考えていない「極論」に対し、11件ものコメントを頂き、恐縮しております。
 いずれの御意見も、誠にごもっともです。特に、森さんの、「社長 限界でしょ」や、もっと技術的に、という御意見、また匿名さんの、民営化だけが原因ではない等の御意見については、全く反論はありません。
 私も、決して、民営化だけに全ての責任を転嫁するつもりはありませんし、多くの民間鉄道会社が立派にその機能を果たしていることも認めます。しかし、「民営化」というものが、どうしても、「効率性」や「利益」優先になり、「安全性」や「公共性」にしわ寄せが行く傾向にあるという私の考え方は、譲る事は出来ません。そういう基本的な「課題」を理解した上で、どの「分野」を民営化するか、まさに「国民の選択」に委ねるべきだと思います。
 ハインリッヒの法則によれば、1つの顕在化した事故の裏には、300の顕在化しない同様の事象があるそうです。今回の事故と全く同様の、事故として顕在化しない事象が、自分の身の回りを含めて、300もあることを充分認識した上で、国民一人一人が、諸々の課題について、もっと真剣に「選択」をすべきだと思います。

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岡崎さま
御意見、拝見いたしました。極論であるかどうかは別にして、利益と安全性が相反するものであるという間違った先入観をお持ちではありませんか?
「民営化」というものが、どうしても、「効率性」や「利益」優先になる、というのは、そのとおりでしょう。JR西日本は株式会社ですから、その存在目的は「株主の利益」です。
では、利益とは何でしょうか。今回のような事故を起こせば、利益にはつながりません。民営化して効率性や利益を追求することが問題なのではなく、JR西日本(の取締役)が、何が利益で何が不利益であるかを正しく認識していなかったことこそ問題です。
民営でないということは、公的主体が営業するということになります。民営化には民営化の問題はあるでしょう。では民営化することが公的主体が営業することと比較して悪いと言えるでしょうか。公的主体が営業すれば民営よりも安全であるというのは、「官の無謬性」に囚われた幻想に過ぎません。
旧国鉄のような「公的主体による営業」というものは、どうしても、「親方日の丸体質」や「政治家の介入」を招き、「経営責任」や「真の公共性」にしわ寄せが行く傾向にあるということは、歴史が証明しています。
>「民営化」というものが、どうしても、「効率性」や「利益」優先になり、「安全性」や「公共性」にしわ寄せが行く傾向にある
この考え方を改められることを切に望みます。

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#991さん、岡崎さん、森靖之です。

  少し重複しますが一言。

  私は、基本的に国鉄民営化を評価するものです。その上で以下のように考えます。

  まず、民間企業にとっては利益追求は最大の活動目的であるという現実を直視すべきことです。そして、現実に日々の運営では、多くの場合安全と経済性は矛盾することも受け入れましょう。これも利益の出ていたJR西の安全対策予算が削減を受けていたことから理解いただけると思います。

  もちろん安全軽視が重大事故につながり、高くつくこともありますが、それは結果論で、現にJR西の大阪支局は「稼ぐ」すなわち利益追求を第一目標に掲げていました。誰もこのような事故を予想していなかったので、問題を感じていなかったのでしょう。あるいは、資本の原理は、まれにしか発生しない事故のようなものを内省化することが苦手で、安全は忘れられがちということでしょう。これはどちらかというと公共事業が得意とする世界です。

  さらに、民営化したJR西は並行する民鉄からお客を獲得して収入を増やすため、お客様サービスを向上させ、スピードアップを図りました。国鉄のままであったらこのようなことは、少なくとも120kmの最高速度や、厳しいダイヤ編成を導入してまでは行わなかったでしょう。インセンティブが働かないからです。(だから私は民営化が必要だと思うのですが。)

  以上から、今回の事故は民営化の帰結であるという岡崎さんの主張はわかりやすいと思います。要するに民営化を美化してはならないということでしょう。

  しかしサービス向上、財政健全化の視点から民営化は正解だったと思います。

  その上で安全性など長期的視点が必要な分野で手抜きがないように、市民であり専門家である学会員の皆様がJRに情報公開を求め、JRを監視するのが賢明なのではないでしょうか?(余談ですがこの点は道路公団の民営化にとって重要なポイントではないでしょうか。ちなみに道路公団の民営化のメリットは鉄道よりはるかに少ないと考えます。)

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森 靖之 様

 森さんの御意見に、全く異論は在りません。森さんのコメントを読む前に、次の「もう一度、「民営化についてよく考えるべき」」を書いたため、やり取りの流れがおかしくなったかもしれません。言い訳をさせて頂きます。

 私は、「何が何でも民営化。民営化至上主義」といった、「紅衛兵」的な世の中の動きに反発を感じて、意見を申し上げているに過ぎません。

 

 

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匿名さんへ

 もう一度、私の考えを述べさせていただきます。
 「営利企業」というのは、ある特定の企業の「利潤を最大化する」ことを目的関数とする経営システムです。従って、「安全性」も「公共性」も、その企業の「利潤を最大化する」中での、ファクターの1つになります。利潤最大化の中で、例えば「安全」に、どの程度万全の投資をすべきかは、企業経営者にとって中々難しい方程式であろうと推測します。
 これに対して、「公営企業」や「公的事業」では、「国民全体の利益(公共の福祉)」が目的関数になります。従って、「安全性」や「公共性」については、「国民全体の利益」が目的になっているシステムの方が、「特定の企業の利潤」が目的になっているシステムよりも、より確保されやすいことになると思います。現実には、旧国鉄の例を見ても、最近の社会保険庁の例を見ても、必ずしもそうなっていないことは私も認めます。しかし、だからといって、何が何でも「民営化」すれば全て良くなるというのは、それはそれで行き過ぎではないでしょうか、というのが、私が昨年来くり返し申し上げて来ている事です。
 最近、新聞等を見ると、漸く私と同様の意見も取り上げられるようになり、喜んでいます。わが国では、とかく、「民営化」といえば全員が「民営化」になる、「大政翼賛会」的な動きになりがちですが、国民一人一人が、本当に自分自身の利益になるかどうかという観点から、もう一度よく考えてみないと、将来大変な事になると心配しています。

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#991です。

営利企業と、公営企業や公的事業のお説、建前としては全く異存ありません。しかし、実のところはどうでしょうか。
営利企業の存在目的は、株主の利益です。株主に利益をもたらすためには、利潤を追求しなければなりません。利潤というと何かアコギなものだと思われがちですが、そうではありません。中谷巌氏の「痛快!経済学」によれば、「リスクを取ったことに対する報酬を利潤という」ということです。営利企業の経営者は、利潤を得るためにリスクを取らなければなりません。福知山線で言えば、リスクを取ることとは、電化し、複線化し、207系という新型車両を大量に投入し、JR東西線を介して片町線(学研都市線)と直通運転し、等々、という、多額の投資を伴う経営戦略をとることです。この投資に対して収入が見合わなければ、投資を回収することができず、企業は損失をこうむることになります。これがリスクです。これを履き違えて、ATS-Pの導入なり運転マニュアルの遵守なりを怠り、乗客を危険にさらしたのが今回の問題であって、これはその企業(の上層部)がリスクの対象を外部に押し付けたという、経営戦略の間違いです。
リスクを取るということは、失敗の可能性があるということです。失敗すれば、その営利企業の取締役は首を切られます。また、その企業に故意に損失を与えるような戦略をとれば、株主代表訴訟の対象になるばかりか、商法の特別背任という立派な犯罪になります。
一方、公営企業や公的事業の目的は、国民全体の利益(公共の福祉)です。ここは異論ありません。では、何を以て国民全体の利益とするかといえば、実は何人も明確に定義できません。公営企業は、安全をおろそかにしようが、赤字を垂れ流して税金投入を受けようが、どう考えても乗客が見込めないところに過大な投資をして新路線を建設しようが、何ら責任を問われません。これまでに、旧国鉄に限らず、苫東だの、りんくうだの、無責任経営を続けて国民の血税をドブに捨てるようなまねをした公営企業は、枚挙に暇がありません。
旧国鉄が民営JRよりも安全性重視という点でまさっているということも、決してありません。なぜなら、速度超過によって脱線するというのは、運営主体が何であるかに関係なく、物理的な帰結であるからです。
もっと言えば、特攻隊などという、人命も戦力も効果も全く度外視した作戦をとって、国民を不幸のどん底におとしいれたのは、公的主体の最たるものであった旧日本軍です。

>最近、新聞等を見ると、漸く私と同様の意見も取り上げられるようになり、喜んでいます。
新聞等の言説を真に受けるのは、決して賢明な選択ではありません。福知山線の事故現場で、事故車両に閉じ込められた乗客の救助を求める必死の叫びをヘリコプターの轟音でかき消したり、周囲の空き地に勝手にクレーンを持ち込んで夜な夜な投光器で住民の安眠を妨害したり、煙草の吸殻やゴミを撒き散らしたりしているのは、他ならぬ新聞等の記者、いわゆる「羽織ゴロ」と呼ばれる、人間のクズ同様の連中です。そのようなクズどもが、発行部数や視聴率などを稼ぐために、被害者の傷口に塩を塗るようなマネをして、それを適当に加工して垂れ流している情報が、新聞等の言説です。

さらに言えば、このような人間のクズどもが提供する情報であっても、太平洋戦争中の「大本営発表」のような公営の嘘っぱち情報よりは、ずっとマシです。もし、報道機関が全て公営になったら、大本営発表が復活するだけで、国民全体の利益には決してつながりません。

とにかく、公営は民営よりも安全に注意を払うはずだなどという幻想から、早く脱却して下さることを、切に望みます。