城下町鳥取外堀の評価

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城下町鳥取の水防システム、殊にスーパー堤防的な構造となっている外堀の土木的評価

城下町鳥取の基盤は、基本的には久松山の麓の沼地を埋め立てて1600年の関ヶ原の戦い以降、1632年頃までにつくられたものであるが、概略2段階のステップで造成された。
第1段階は、池田長吉・長幸親子の治世に6万石の城下町として造成された。第2段階は、1617年から池田光政の治世に32万5千石の城下町として大幅に拡張された。
池田光政の治世は、1632年に、従兄弟の池田光仲に継承されたが、土木的な基盤整備は、この頃までに概ね完了していたと考えられている。
今日では、第1段階の城下町と第2段階の城下町の境界は、第1段階の外堀ということになるが、第2段階の造成の際には第1段階で造成された部分を武家町とし、第1段階の外堀を城下町の中心的な排水路として薬研堀として整備し、その外に次第に深くなる沼地を埋め立てて町人町が造成された。
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