一級建築士の倫理観

セクション: 
|
トピックス: 
ユーザー 匿名投稿者 の写真

森靖之です。
 耐震設計偽造のニュースにはビックリした方が多いと思う。
 産経新聞11月19日付けによれば、当該一級建築士は、「仕事をこなすのに頭がいっぱいで、悪いことをやっているとの認識はなく・・・」とのべ、また改ざんについて、「一番スピードを求めたら偽造になるんじゃないか」とまるで偽造は効率化の手段のような認識である。
 万が一地震が来て倒壊したら多くの人命財産にかかる事項なのに丸でその認識がない。
もちろん、法令違反であるが、専門家としての倫理観の無さにはあきれるばかりである。
 残念ながら、中にはこの程度の一級建築士もいる事を前提に、我々の自宅の建設を考える必要がということであろうか?
 振り返って土木の専門家にあっても、他山の石として、自らの業務に関して倫理観の向上に努めて行くべきということかもしれない。

コメント

ユーザー 匿名投稿者 の写真

犯罪のことですから倫理観なんて優しい話ではないと思いますよ。
土木では第三者のチェック機関がありませんから、もっとひどい
構造物も多く存在する可能性が多いのではないでしょうか。

ユーザー 匿名投稿者 の写真

森靖之です。
#1396さん、妙に説得力あるのが怖いのですが、
昔の会計検査では、鉄筋が不足したり、裏込めがなかったりしたものです。
しかし最近はそのような検査をしても、まず間違いがないので、計画や設計も検査対象となり、大いに検査院と議論があるようです。
その意味で、土木の現場はしっかりしていると思っていましたが?

ユーザー 匿名投稿者 の写真

 反論です。土木の場合は建築の場合よりひどくないと思います。土木の場合は、ほとんどが公共事業で、建築の場合はほとんどが民間投資であることの違いが、大きいと思います。民間の場合は、経済性という志向が働きますから、安いものへと働きギリギリの構造設計となりますが、公共の場合は安全側にいく志向が働きます。
 そのため、建築は建築基準法でその縛りがあり、土木は公共である発注機関の監督権限があるので、法律とまではいかなくても各種の基準類(たとえば道路橋示方書)での縛りで安全が保られていると思います。土木の方が安心できると思います。
 たとえば、鉄筋の許容応力度1,800kgw/cm2に対して構造計算の結果1,830kg/cm2になったとしましょう。このくらいのオーバーでは安全であることは技術者であるならばわかります。荷重条件でも安全側の設定で実際より大きい条件で計算するなどを知っていますから。では許容以内にすると鉄筋を一列増やして安全側になり過ぎて無駄な設計になってしまう。土木ではこういう場場合に、発注機関に対して正直に、許容はオーバーしますが問題ないと考えます、と報告する。しかし建築では法律であるので犯してはいけない。設計計算書を改ざんして1,790kg/cm2と書き直すということがあるかもしれません。そういうことが積み重なって倫理が麻痺してしまうのではないでしょうか。しかも依頼者から安く安くと要求されて・・。
 このことを逆説的に言えば、土木は安全すぎて税金の無駄遣いをしているのではないかと国民からは言われそうであります。そこに談合だとか、談合で吊り上げたお金が政治家に還流し、そこに政治屋が群がる構造が出来上がる、という批判がでてきます。
 建築の話に戻りますと、建築確認で行政が責任をもって安全なものを確保する義務があります。その責任を規制緩和の名の下に、民間に丸投げしてしまったところに根源的な問題があったのではないだろうか。建築業界が自分で自分を検査することになってしまった。自分で自分を検査する場合、まともにできるはずがない。利害関係がない公正な第三者が行なわなければ安心できないことは誰でもわかります。丸投げした法律改正に加担した政治屋の責任も問われるべきだと思います。