事故報道に思う

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 5月7日のサンケイ新聞は「「客観報道」へ自戒」と題して、4日深夜のJR西日本社長らの記者会見における一記者からの「遺族の前で泣いたようなふりをして、こころの中でべろ出しどるんやろう」との発言に対して、「客観性や冷静さを欠いた報道は、今回の事故の本質を見失わせる。」と自戒の記事を載せている。
 このことに対して、サンデープロジェクトにおいて、この記事を引用しながら田原総一郎氏や猪瀬直樹氏がマスコミは分析力を持つべきとの趣旨の発言をしていた。
 
 JR西日本の初期対応の不適切さが遠因とはいえ、「ボーリング大会」以降のマスコミ報道は情緒的である。第一に冷静な分析力の重要性を訴えたい。

コメント

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マスコミ報道に問題があるということは多くの方が感じていることと思います。友人に東京某キー局のアナウンサーがいます。原子力の報道について、話をした際、彼は「それは理解できるが、一方では視聴率を稼がなければならない」と言っていました。話っぷりから、TV局における視聴率というのは我々が感じているよりも重要視されていると感じました。

悲しいことではありますが、情緒的な報道の方が視聴率を稼げる、というのが日本の実情のようです。昨年の学会全国大会で土木事業〜社会との連携に関するパネルディスカッションでパネラーの方が、確か、ドイツ人の国民性と比較して日本人の「非」合理的思考について話をされていたと記憶しております。

少なくとも、我々技術者は分析的能力を高めることが必要であるとともに、地道な話ではありますが、「TVではこう言っているが・・・、〜ではないか」などの話を家庭内でするなどして、情緒よりも分析を重視する思考法をもつ国民を増やしていくしかないのでは、とも思います。

ところで、私自身、古木さんのお話に全く同感ではありますが、唯一、今の社会で道徳などの規範が薄れているように感じられ、「情緒的」な報道ではありますが、「ああいう事故のあとゴルフなんてもってのほかである」という意識を全国民に徹底する意味合いからは、マスコミの情緒的報道にも若干の価値を見出してはおります。

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"「情緒的」な報道ではありますが、「ああいう事故のあとゴルフなんてもってのほかである」という意識を全国民に徹底する"に関して、参考までに、異なる見解を持っている識者もいらっしゃいます。技術者倫理について造詣が深い関西大学社会学部教授齊藤了文氏は、「まったく別の部署の非番の社員がボウリングをした行為までが責めたてられる。不思議なことだ」「この理屈だと、問題を起こした会社の社員は全員、休みの日も自粛しろということになる。そこには社員と会社は一体との前提がある。非常に日本的な状況だ。」ただし「事故列車に乗っていながら乗客を助けずに現場を離れた運転手」については「批判されても仕方がない。」(「」内はいずれも神戸新聞2005.5.16付朝刊「JR事故をどう読む?」インタビュー記事から)氏は、海難でSOSをキャッチしたにもかかわらず助けにいかない船長は犯罪になる、とも言っています。
 道路公団の民営化をめぐる報道にしろ、今の郵政民営化にしろ、今のマスメディアは本当に国民に知らせなければならないことを報道していないし、国民の世論を間違った方向にもっていく危険をはらんでいると思います。うそを報せることもある。1930年代に国民を戦争に総動員したマスメディアの犯罪的役割を思い起こすような、恐ろしさを感じるこのごろです。マスメディアの報道は信用しない、疑ってかかる必要があると思います。
 土木のこととは関係ないことを書いてしまいましたが、お許し下さい。