私は建築系の都市計画・まちづくりコンサルタントです。
2005年、福岡県西方沖地震で集落斜面が崩壊した玄界島の復興計画が決まったのは、
背山を含めた地盤の安全性について、土木的レベルでの判断と対策の決定が前提でした。
玄界島復興事業の現場での経験から、
今は、まず、土木スケールでのアイデアが求められると考えます。
が、
あまりにドラスティックなアイデアは、結局、出来ません。
残った町の部分やシステムを活かし、自力+支援再建を可能とし、
今はガレキの下になっている土地権利の移動(買収など)は必要最小限にして…
風景/風土をまもり・つくり、人を信じ(ヒューマン・コントロール)、
まちづくりレベルにつながるひとつのアイデアとして…
太宰府・大野城市[水城]が、陸側での防災/減災の備えのイメージです。
避難距離・時間を考えて、必要なら数本。三陸のV字谷をつなぐ形で。
「命の城、慰霊の丘」
土木系の方々の勇気あるアイデアが必要です。