『鎮守の街』 復興計画

ユーザー 性全愼一 の写真

鎮守の街 復興計画
(鎮守とはその土地をしずめる守り神)
―精神文化とその形をマスタービジョンとし、将来、世界遺産登録を目指す復興計画―

     総 論
1:初めに
東日本大震災で被害を受けられた皆様に心からお悔やみ申し上げます。

事件が大きければ大きいほど、私たちは、その現実を認識しがたいものです。「天災は忘れた頃にやってくる」で知られる寺田虎彦の『天然の無常』、仏教の無常観を残念ながら非常な体験として経験する破目になってしまいました。
被害を受けた人々の冷静な対応、復旧やボランティアーに携わる方々の努力は世界が驚嘆し、日本人の誇りであり、日本人としての真価を改めて感じたのは私だけではないと思います。
現時点では当然、行政の最大関心事は、被災者救済と経済復興ですが、日本文化の視点から未来に向けて如何なる街の復興が可能かとの思索の補充が、今以上に必要ではないかと思っています。
復旧ではなく復興、復興では十分でなく創生だと抽象的な想いが先走り、未来への確固たるビジョンが描けないまま日時が過ぎていく感が拭えません。

2:鎮守の街 復興計画の主旨
ここで提案します『鎮守の街』復興計画は、斉一で平板な近現代の機能優先都市計画から脱却し、民族・地域文化といった近代が忘却した文化遺産を、街の復興計画のマスタービジョンとして掲げ、住民の生活文化を重視した脱近代主義都市構想として図るものです。
それは、津波からの防御が可能な人工地盤を築き、その上に千年に一度の巨大津波にも対応できるRC造の低・中・高層建築物の組合せたコンパクトシティーの都市計画です。街中には、魚が泳ぎ、木々や草花が茂る掘割と、掘割に組み込まれた和風庭園が街を縦横に走る。多様な日本文化の香りを放つ鳥居・祠・灯篭・石像・石碑が、昼夜問わず街並の到る所にその存在を露にしている。
神道という日本人の心底に常に存在してきたアニミズム文化の精神性を重層させることで、過去・現在・未来という時間軸を計画に組み込み、将来に世界遺産に登録といった目標を掲げた都市構想の提案です。
『文化大国日本』の精神と形を世界へ発信するメッセージとして、そして被災地東北から明日に向かって輝く希望と忍耐、連帯、勇気、叡智を包含した、古里の街復興計画の一提案となることを祈願しています。

復 興 計 画
Ⅰ.時代的背景
1:現代都市の現状
第二次大戦後の都市復興はビジョンなしの近代化であった。
それは、短絡な道路計画と用途区分・容積・建ペイ率・高さ制限などに終始し、都市の敷地は営利目的で細分化され、秩序なき建築が乱立する醜悪な都市景観となり、道路は渋滞と公害を生み、現代都市は混乱し品格を失った。
現況の街といえば、過激で個別化した広告と広告塔化した建築物が立ち並び、街並は商業化に支配され、個々の建築は都市とその景観に寄与するという本来の役割を十分果たしていない。
コミュニティーの親近性は急速に薄れ、多様な社会問題が顕在化している。
経済格差・社会の無縁化・政治の混乱と混迷は、無防備な民衆を孤独な生活に追い詰め、出口の見えない状況にある。そのような状況下で、千年に一度といわれる東日本大震災という天災が私たちを襲った。
2:文明と自然破壊
文明が近年異常な速さで加熱し、文明の負の遺産が山積みにされている。
現代文明は峠を超えたのかとの問いかけに、私達は謙虚にならざるをえない。
人間にとって文明の発達とは、理性の深化であり、合理性の探究であり、知識の集積でもある。同時に、それは欲望の拡大でもあり、自然からの離反を意味している。
文明の発達と自然破壊は必然的な帰結であるということでもあろう。
自然のバランスが大きく崩れ、文明の軌道修正が問われる今日、環境問題が大きくなる中で、人類が自然と如何なる共生ができるかが問われている。
3:近代の歴史的背景
ここ数百年を振り返れば、古代ギリシャのヘレニズム文化を端に発した西欧の合理主義が席捲し、長年培われた世界の地域文化は淘汰された。また、神・人間・自然といったヒエラルキーを是とし、世界は近代化という名の下に自然を従属的に支配し変容させてきた。
普遍化しようとする文明の巨大なエネルギーは暴走し、今や制御不能な様相を呈してきている。それは、文明の発達と人間性は両立できないという警鐘でもあり、文明と私たちの存在の関係性を根源的に問い直す必要性を喚起していることでもあろう。文明の軟着陸を真剣に問い質さねばならない時代に突入したということであろう。
日本の現状も然りで、過去の崇高な精神文化は廃れ、近代化という荒波の中で民族の特性と未来への羅針盤を失い、悶々とした状態に陥っている。
今、この文明という大河の濁流の中で、私たちを乗せた小舟がどこに流され、どこに辿り着こうとしているのかを簡単に解きほぐすことはできない。唯一暗闇の中で一筋の光が見えるとすれば、私たちの先祖が自然への敬愛と畏敬の念を持ち続けた霊性を、今日も私たちが僅かであるが感じられることである。合理性で傷ついた西欧人の精神について、フランスのオリヴィエ・ジェルマントマ氏が『日本待望論』で次のように述べている、『いかに、いま、人間が霊性の世界を必要としているか、そのことは、これを忘却したがゆえに窒息状態にある我々西欧人が誰よりもよく知っている、、、』と。
4:提案型都市計画
20世紀は、近代建築の巨匠たちが、近代という時代性を背負い、新たな時代に新たな生活基盤としての都市計画を模索し提案してきた。
ル・コルビュジエの『輝ける都市』、ハワードの『田園都市構想』、わが国では丹下健三の1960年『大東京計画』などは、その代表的な提案であるが、前者2案は自然と都市生活の融合を都市郊外に移した近代化の提案であり、後者は過剰な近代化予測と技術偏重的なもので、都市計画における啓蒙主義的傾向が強く、近代化という重圧に圧され過去の文化遺産との統合が十分汲み取れていない。
5:美しき田園とアニミズム文化
地方の無秩序な近代化は、自然環境や田園風景の劣悪化を招き、農耕民族である私達の先祖が培ってきたアニミズム文化の衰退を余儀なきものとした。美しき田園風景の喪失は、アニミズム文化を心の拠りどころとして生きてきた生活観の根幹を揺さぶることになった。道路建設は山野の形態を変え、コミュニティーを分断し、農機具の発達と普及は田園の形状を変え、相互扶助の親近性を犠牲にした。
政府が勧めてきた土地改良事業は農の効率化を優先するもので、美しき田園風景を創出するものではなく、美しき田園の復興を国政として推進することが望まれる。何千年もの間、農を生活の基軸にした民族にとって田園風景の乱れは精神の乱れとなり、私たちの美的感性も判断力までにも悪影響を与えている。
6:神社合祀政策とコミュニティー文化の衰退
日本の精神文化を語る上で、明治後期の神社合祀政策によって、生活圏に存在していた多くの神社が整理統合されたことを見逃すわけにはいかない。
神社統合は国是の推進を安易にするための中央集権の強化策の一環であり、地域の自治制とその多様性、精神文化にまで大きな痛手を与えた。
神社は地域の精神文化の核であるばかりか、コミュニティーイベントを通して村民の相互扶助・共通意識の熟成の場所でもあった。多くの神社が合祀政策の煽りを受け喪失し、結果、村の連体制が失われ、小さな氏神の祠が家々の敷地の片隅に追いやられ、より孤立したものになった。
日本人の精神文化の基軸として原初の時代から常に存在したアニミズム文化は廃れ、地域のコミュニティー文化も分解した。
私達の周りには、今も多くの神社が悲壮な状態で残存しているが、これらの神社を自治体と住民が一体となって再建することが、精神文化・コミュニティー文化再興の起点になるのではなかろうか。

Ⅱ.復興理念
1:将来世界遺産登録へ
都市計画は長い年月を要して完成させていくものである。故に、各世代が 共有できる大きな目標設定が欠かせない。この目標の優劣や大小によって、時代の変遷と共にその完成度やその持続性・継続性が大きく変化することになる。
日本人が古代から親しんできた古神道の宇宙観を、復興計画のマスタービ ジョンとして堅持し、災害から復興した我が街を『世界遺産に登録しよう!』という大きなかけ声を住民と自治体が共有し、一体となって進める計画を提案したい。この世界遺産登録という標語が大きなエネルギーとなり、住民の共通意識となり、同時に外から大きな投資や人々を引き寄せることになるであろう。
2:文化が投影された都市計画
私は、東北の復興を経済復興や単純なコンパクトな都市計画に終わらせる ことなく、日本文化が強く投影された都市計画であるべきと考えている。
国家の傷ついた経済状況の下、都市管理の効率性、機能性、住民の親近性などを鑑み、コンパクトに纏めることは然りであるが、それだけでは十分とはいえない。
ここで提案するアニミズム都市論は、日本固有の精神文化を人類と自然の再定義として復興計画に組み込むことで、東北から日本のみならず世界へ向けて大きな発信力となり、結果として復興力にもなり得ないかとの想いである。そして、文明という能動的に普遍化しようとするエネルギーと、守勢的存在に陥った文化の固有性の止揚に寄与し、日本のみならず世界へ贈るメッセージ性の創生となるのではないかとの願いを込めたものでもある。
3:環境と人間
私達は主体的に環境を造るが、また受動的にその環境に順応し、大きく変 化もする。
都市計画は単純な近代化や現代社会の機能充足のみでは、未来に対して過去の建築文化やその空間遺産の継続性と伝承の断絶となり、環境と人間の相互関係における責任の放棄になりかねない。
何故なら、未来は過去と現在の分断できない延長線上にあり、過去は未来 を創造する糧であり、最大の教訓で規範でもあるからである。
さらに都市計画は、未来学的な予測や推論で止まることは許されない。現 実は、あらゆる過去の総体の結実であり、明日への基盤でもある。都市計画はこの視点で過去の実体とその背景を精査し、人間と都市環境の将来像を考えてみる必要がある。
それは、文化・伝統・風土といった環境文化の意味性を明らかにし、現実とその矛盾を正視し、私たちの本質とは何かを鑑み、それらを昇華統合し構想をすることである。環境の危機・限界性が叫ばれる中で『足るを知る』日本の生活文化を目覚めさせることは精神文化の涵養にもなるであろう。
4:神道の意味性
信仰は文化・芸術を生むエネルギーでもある。言い換えれば、文化・芸術は私たちの宗教心が顕現化したものであるといっても過言ではない。
私は、今も日本人の心に根強く在る神道のアニミズム的宗教心(汎霊説・精霊信仰)が、出口の見えない暗闇に向かって過激に走る文明の歪みを矯正し、その趨勢を緩和するのではないかと考えている。
神道とは、美しき自然環境に抱かれ、その恵みを享受してきた日本人の畏敬と畏怖の自然観であり、祖先崇拝も含むアニミズムで、古代縄文の時代から日本人の心に常に在り、あらゆる自然と自然の事象に対する信仰である。また、それは祭祀行事を重視した宗教でもあり、多様な地域文化や伝統を生み外来宗教や哲学を日本化した。
アニミズムは、文明史以前の原始宗教と定義されているが、文明史以前の 人間の本質を検証することなくして、今日の合理性を基盤にした文明の歪みを矯正することはできないのではないか。
私は、アニミズム的自然観は人間が自然児の状態で、如何に自然と共存し 共生したかを知る上で大きな示唆に富んでいると思っている。アニミズムは文明史以前、世界のどの地域にも、どの民族にも存在していた普遍的な宇宙観であった。
そのようなアニミズムを今日まで保持してきた日本人は、世界的にも大変稀有な存在で、この精神文化を世界に発信することは、私たちの使命であり大きな責任ではないかと考えている。
14,15世紀のヨーロッパにおいて、古代ギリシャ・ローマ文化の復興をルネサンスと呼称しているが、アニミズム再興は文明史以前の人間の根源的で本質的な宇宙観のルネサンスと定義できるのではなかろうか。
司馬遼太郎が『神道は日本人にとって外来の宗教・道徳・倫理を受け入れ  る皿のような役割を成してきた。自己主張も特別な教義もないが、外来の宗教や倫理、道徳を包みこむ奥ゆかしさが日本人気質にも合致したため、日本人の宇宙観として今日まで忘れられることなくきたのであろう。』と分析している。
また、宮崎駿のアニメにもこのアニミズム的要素が色濃く投影され、日本人の心底に眠る自然への畏怖心と自然に対する敬愛の情性が描かれている。宮崎駿アニメが世界のアニメフアンに賞賛されている事実は、アニミズムが普遍的である証左でもあろう。
教義や主義主張の強い宗教は、私たちの心の拠りどころとして大きな役割を 果たし、偉大な宗教文化を生んだことは否定できない。
神道は、教義や教祖もない、理性や論理も必要としない、ただ身の回りの  存在に畏怖心と敬愛と一体を感じる霊性の祭りである。この霊性は宗教、哲学、道徳を超越した人間の根源であり、あらゆる宗教の源泉であるとも言われている。
天災をも信仰の対象にしてきた神道は、日本人の民族宗教であるが、その 普遍性ゆえ、神道の自然観が、自然と人類をあるべき姿に矯正させる端緒となりえないだろうか。この思いが、私が東日本大震災で被災した街の復興計画の支柱に構えた理由でもある。
5:日本美学と禅
日本は、四季の自然変化が著しく、その変化の区切を神からの連絡と感じ、四季折々に感謝を捧げ、豊かな感受性を養ってきた。また自然との営みの中で穏やかな気候・気象、繊細で美しい自然にも恵まれ、自然を崇高で神聖であるとさえ感じ、世界に類のない自然観を育んできた。禅が、このような日本固有の自然観を高度で簡素な美学へと精粋し、私たちを観想の世界へと導く冠たる日本美学を完成させた。
禅は中国で発展し、日本で完成し大衆化した。特に、鎌倉時代からの武家社会で尊ばれ、日本の芸術・文化の規範として、ここ数百年大きな役割を果たした。古神道自然観が、日本人にとって禅を容易に受容できうる素養を築いていたからであろう。日本人の生活観そのものが禅的であったということである。
鎮守の街では、住人が美的観賞を味わえるだけでなく、豊かな精神性をも涵養できる美学が望まれる。簡素な美学に徹底することは、住民の精神文化を醸し、新たな文化・芸術の創生にも有益であろう。簡素な美学は複合の美学に勝る。
世界遺産に登録という大きなテーマの街づくりを目指すわけであり、安易な流行りや様式に囚われない、審美を究めた高度な日本美学が求められる。
6:和風庭園:
和風庭園は、私たちの自然観と宇宙観を具象化した、最も身近に存在する至高の美学であろう。自宅の庭の一部に和風庭園を造り、日本人は自身と宇宙の連結を観た。庭園は私たちの霊性の鏡でもあり、自己を内省する存在でもあった。日本人の清廉なアニミズム的宇宙観無くして、このような自然美学は生まれてこなかったのではなかろうか。
  和風庭園が家の敷地や公園の中に閉じ込められる存在のみならず、歩道・掘割と共に街中を線的に縦横に走る相は、街の景観のみならず住人の精神性にも寄与するであろう。

Ⅲ.計画目標
  現代の都市計画は、車社会を主体にした動線が都市の骨格として先ず決められ、主要な都市機能がそれに配置されるという機能的合理性が優先されている。親近性、象徴性といった都市の精神性はおろそかにされ、住民と都市環境の調和が崩れ、緊密なコミュニティーが喪失した。
新たな街づくり復興計画は、将来に向けて大きな希望と目標を住民と自治 体が共有できる街づくりでなくてはならない。次の5項目を計画の主旨とした。
1)住民の親近性・コミュニティーと市井の再興。
2)伝統・文化・豊かな環境の復興と再生。
3)災害で亡くなられた人々の鎮魂。
4)災害に強い街づくり。
5)今回の災害を、日本のみならず世界にとっての教訓として、世界に発  信できるメッセージ性のある都市計画。

Ⅳ.計画内容
1:人工地盤の建設
提案する計画は津波で災害を受けた現状の土地を原則的に利用する。
津波で災害を受けた地面から数メートル上部に人工地盤を建設し、それが 街の歩道や掘割などの生活基盤のレベルとする。
現状の地面には道路や駐車場、地場産業の工場などを設け、人工地盤の上部には津波に耐えられ、避難が容易に可能なRC造でコンパクトな低・中・高層建築を設ける。
理由は、職住分離は住民にとって現実的でなく、災害を忘れ再度低地に住
み着く結果になりかねない。また、職住合同は街を活性化し、住民の親近性を増し、コミュニティー意識を芽生えさせ助長することになるからである。
  2.現代版囲郭都市と鎮守の森
津波で大被害を被った町や村の復興計画にあたって、囲郭都市を全体計画の下地にしたい。理由は、古くは環濠集落や囲郭都市が日本においても世界においても存在していたが、このような相互扶助や外界からの防御概念が、地域性に役立ちコミュニティー意識を高めることに寄与するであろうと判断したからである。無論、現代社会において城壁に類するものはあり得ないが、街の外周に境界性の概念を導入することで、コミュニティーの一体感と親近感を熟成するであろうとの願いである。この境界性とは、街を囲む鎮守の杜を連想させる森である。
3.和風庭園墓地
古神道のもう一方である祖先崇拝の具象化として、街の外部に鎮守の杜として植樹された森の一部に、住民が散策できる『和風庭園墓地』を散在させる。『和風庭園墓地』とは和風庭園であり、既存の庭園墓地とは異質なもので、和風庭園風に配置された自然石が墓石となるものである。
墓地は、以前、家々の裏庭や裏山の自然の中に静かに存在し、日々の墓  参が可能であった。それは先祖崇拝が生活の一部であった証左である。
また、街を囲む境界に墓地を設けることは、犠牲者への哀悼の念と鎮魂 の祈りが街づくりに参画することであり、二度とこのような犠牲をださない残された人たちの誓いでもある。
4.掘割と運河の街
地域を流れる河川の水を引き込み、街中を縦横に流れる10m幅の掘割を設ける。掘割には木々や草花、自然石が流れに沿って配置され和風庭園を彷彿させるものとして計画する。掘割は街の外周に沿って森と街の境界にも設ける。鎮守の街は鎮守の森と和風庭園に囲まれ抱かれる。
それは、自然と人工の融合の場であり、水と親しみ、子供たちが遊び、住民たちの憩いと団欒の場である。魚たちが泳ぎ、美しい水草が茂る。夏にはホタルが舞うであろう。
また、街は海と積極的な関わりを放棄しないことが、海辺に暮らす人たちの願いである。海は信仰の対象でもあり、運河はその安全性を十分考慮した上で街の中に引き込み、海という自然を都市計画に十分生かすことが、津波で被害を受けた人たちの心の癒しとなり、その悪夢から立ち上がる活力の源泉にもなるであろう。
神社と海洋を結ぶ中心軸の海上には、漁場の安全と豊漁の祈願として巨大な鳥居が立つ。
5.氏神の社と街路にある祠や地蔵
街の中央部に、神社を街の神道化の象徴として建立する。
街の入り口には道祖神、鳥居、街路には自然崇拝の対象物、袋小路には鳥居や祠など、子供たちの健全な成長と多様な祈願を込めた地蔵が建立される。
現代生活の中で、心の充足として信仰の対象となりうる新たな神々も、 積極的に導入されるべきであろう。
日々の生活において、自然への畏敬、崇拝といった信仰心を共有し涵養 できる街であり、住民の郷愁・親近性・連帯感を生む装置としてそれら対象物を考えたらどうか。
精神が先か、形が精神を生むのかの議論は、もちろん後者である。
6.歩車分離と路の建築化
街路は歩車分離を原則とし、歩道は既存の地面から数メートル上げた人 工地盤に設け、参道的象徴性を帯びた空間にする。
街路は掘割と一体となって街を縦横に走り、街角には多様な鳥居が建てられ、袋小路には祠や地蔵が置かれ、住民の出会いの場とも、そして祭りの場ともなる。街路に並列する水、自然石や木々も信仰の対象として尊重する慣習を喚起する。
7.車道
車道は歩道と完全分離型で立体交差として考えるべきである。街への侵入口は海側とは反対側に設け、街を通り抜けできないものとする。
渋滞を最小限に抑える3点交差の道路計画が望ましい。
車道が街を分断し、騒音・排気ガスが街の環境を劣悪にさせない工夫が必要である。
8.津波対策
より高くした堤防の復旧工事が進んでいる場所もあるが、堤防自体の構造的問題がある中で、多少高くすれば災害を受けた低地に安住できるのかは疑問である。街と海を堤防で断絶してはならないし、高い堤防が十全な安全性を将来に向けて確保維持できるものではないというのが私の見解である。漁と海産事業で生活されてきた人たちにとって、海は生活の一部であり生活そのものである。今まで通り密な関係を維持するべき方向で考えるべきであろう。
防潮林が津波に有効であったことが指摘されている。海側には防潮林を植林する。防潮林は『鎮守の街』の杜としての一端を成す。
  9.地域冷暖房
    サステイナブルな社会を目覚さなければならない状況になり、効率の良いエネルギー政策、それを可能にする新たな技術開発、私たちの生活習慣の見直しが問われている。地域冷暖房はその一つで、既に日本の都市では大阪万博以来導入され始めているが、十分とはいえない。鎮守の街ではこの中央集中型地域冷暖房を導入する。

Ⅴ.コミュニティーの運営
1.オーナーズ・シェアーハウス
被災者にとって、絶望の中から光が見える都市計画とは、住まい方にも言及したものでなければならない。既存の住形式を提供すれば良といったものではなく、被災者の寂寥の軽減と相互扶助精神で楽しく暮らせることが最優先課題である。その一案がシェアーハウスである。
通常のシェアーハウスは賃貸であるが、私の提案するオーナーズ・シェアーハウスは入居者が所有でき、不動産という生涯投資の起点となるものを考えている。
現時点では、金融機関はこのような不動産への融資はしていないが、国や自治体が保証制度を確立すれば可能であろう。
家族を失い途方に暮れる被災者、母子・父子家族、若者のニート問題  の支援策としてオーナーズ・シェアーハウスは大きな社会的意義があると考えている。また、将来サテライトオフィスの必要性が増し、地方での就労が可能になるであろう。ITの発達で、地方に居ながら日本のみならず世界を対象にしたビジネス活動が可能となり、古里、魅力ある地方都市での居住が盛んになるであろう。地場産業を起業したい若者たちにとってシェアーハウスは故郷に活力、活気、安心感を与えるであろう。
2.講の復活
ここで取り上げたい講とは、元々は法会の一種(経典を講じる会)で、宗教行事を取り行なうときの集いから始まり、葬儀や緊急時などに講仲間の相互扶助を旨とした組織団体で、近年まで広く一般的に存在していた。
現在でも団体旅行のための積立金の講や、微弱な講の存在は広範囲に存在するが、社会の近代化と共に衰退していった。
復興に際し、この講のコミュニティー概念を復活させ、住民が講を通して地域社会に親しみ、仲間を築き、相互扶助精神を養い、社会の絆を創生する役割を果たすことを期待したい。実用に際しては、住民の意見を吸収しながら、地域の講の伝統を活かし、現実に見合ったものを立案し実行したらどうか。
複数の講に属することで、住民の絆がより広範囲になり、また、講の主旨によっては過去がそうであったように地域文化の発展にも役立つであろう。

Ⅵ.総括
1.変革する社会と秩序
現代というダイナミックに変革する社会は、常に新たな機能を必要としている。新たな機能は新たな秩序を喚起し、既成の秩序との融合が望まれる。それは過去と現実を、如何なる秩序で未来のために再構築するのかとの問いかけでもある。
都市計画は、都市機能を合理的に系統的に配置し纏めるだけでは、その役割を十分果たしたことにはならないとの思いで、この提案をさせて頂いた。
被災された方々や、これから新たな住民として加わる方が、如何なる生活観と地域文化を共有し、相互扶助の親近性の中で、安全で将来に不安を感じないで暮らしていけるかを、最優先課題として考えた。
それには、住民の方々が共有できる伝統文化や日本固有の自然観と精神性を、街の中で日々身近に感じられる空間を創造することであるとの結論である。
2.景観は観光産業
美しき景観造りは、観光産業としての都市財産でもあると同時に未来への大きな贈り物でもある。庭園・神社仏閣・和風建築・名高い現代建築を求めて国内・海外から多くの旅行者が各地を訪れている。
この復興計画は環境文化創造と観光産業としての長期投資として考える提案でもある。豊な都市空間は、住民の生活文化を向上し、若者を街に留め、新住民を呼び、街は活性化し、新たな地域文化を育む地域力となるであろう。薄弱な真新しさだけでは住民と環境を融合させることはできない。
3.天災と祈願
私たちの先祖は、天災が起きる度に社や祠、地蔵を建立し、亡くなった人たちへの鎮魂と助命を授かった感謝を祈願してきた。同時に自然への畏敬と畏怖の念も絶やすことはなかった。この天災の教訓を何百年、何千年の後世に伝えるため、このような信仰と祈願の形象化を街の復興計画の基軸として据えることは、現代社会においても何ら社会通念に背くものではなく、ましてや信仰の自由を損じるものではないとの見解である。
4.神道と祭り
何百年と続いてきた多くの祭りや奇祭が日本には現存し親しまれている。これらは、その多くが神道から派生したものである。祭りの本望は神に捧げる行為であるが、世俗的には民衆の心の解放を主旨としたものでもある。宗教は厳格な禁欲的一面を必要以上に固執するきらいがある中で、神道は人間性の心理的抑圧の解放を補佐しているとも考えられ、この緊張したストレス社会、非自然の塊である都市環境の中にあって、今注目度の高い癒し文化の一環として考えることもできるであろう。
5.街の神道化
忘却の途にある日本特異なアニミズム文化を再生させ啓発させるには、教育や掛け声だけでは大衆に敏速に深く浸透しないのではないか。建築・都市環境という形の中に訴えることが、最も直接的に有効に心底に響くのではなかろうか。
街の神道化を宗教的すぎるのではとの批判には、啓示的教義も過ぎた伝道もない、ただ清浄を旨とした神道文化の普及であり、明治維新前後に渡来した西欧人が、江戸の街並の美しさと清浄さに感嘆したといわれ、かつて存在した日本の生活文化を懐旧するということで、その批判への回答とさせていただく。
6.計画図
最終ページに載せた計画図は、この論文を概略的・概念的に具象化したもので、具体的な被災地の場所を設定して計画を描いたものではない。素案であるこの復興論に従った一案の表現であると考えていただければ、それで十分役割を果たしたと考えている。
7.最後に
日本は、中央集権から地方分権へと大きく胎動し始めました。それは、また文明から文化重視の時代への動きとも読めます。昨今の日本社会に目を向けると、コミュニティーの崩壊、無縁化社会、犯罪の増加、モラルの低下など大きな社会問題が顕在化し解決策がみえない状態にあります。
ここで提案する『鎮守の街 復興計画』は街の神道化で、日本人の心底に沈殿している自然への敬愛の念を覚醒し、それを都市計画に組込み、日本元来の文化・宗教観を再確認することで、日本社会の課題を効率よく、包括的に刷新できるのではないかとの思いで描いた素案です。
日本の民族宗教である神道は、世界的にも大きな注目を浴びています。特に、今回の東日本大震災で大きな被害を受けながらも、その災難を整然と受領し秩序を維持して生きていく被災者の姿は、世界に大きな衝撃と感動を与えました。
日本人の自然観を街づくりという形を通して訴えることは、今や希薄になった『日本人とは?』といった素朴な疑問への再確認に繋がり、世界への大きなメッセージにもなり得るのではないでしょうか。
現在行われている高台への居住地の移転は、私は仮設的な範疇として捉えています。それは、年月が経てば海辺に戻りたい思いが強くなり、今回の事件の事実も恐怖も忘れることになりはしないかとの憂いです。より恒久的な街づくりビジョンが、今望まれているのではないでしょうか。

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#66 Re: 『鎮守の街』 復興計画

ユーザー 東北人 の写真

非常に興味深い記事やアイデア!私は、このビジョンはすぐに1日に結実したいと考えています。この概念のための任意の画像やイラスト?作家は誰ですか?

#67 Re: 『鎮守の街』 復興計画

ユーザー 性全慎一 の写真

鎮守の街は、近現代都市計画の限界性を指摘しながら、3:11で被災した町や村の復興に新たな可能性を探る、脱近代主義都市構想と位置づけています。ジェイン・ジェコブズなどが近代都市構想を批判しましたが、その批判は都市の普遍化、過去との連続性の欠如、巨大で非人間的都市空間、機能の過ぎた分化などでした。
鎮守の街は日本の伝統的環境文化と、自然崇拝という日本民族の精神文化でもあり習俗でもある古神道をマスタービジョンとして位置づけ、街の建築は日本美学で支配し統合するものとして提案しています。

図面は:
http://www.shozen.net/chinsyu/
をスクロールして最後のページに載せてあります。
忌憚の無いご意見を拝聴したいと思います。
性全法遵(慎一)

#68 Re: 『鎮守の街』 復興計画

ユーザー 性全慎一 の写真

『鎮守の街 復興計画』原案はwww.shozen.net の (New鎮守の街 復興計画)に載せてありますので、ご覧ください。
現在、鎮守の街を一冊に纏める作業をしています。また、外国の方から英訳するようにと示唆されていますのでそのつもりでいます。もう少しお待ちください。
設計もよりリファインされたものに置き換えようと思っています。
日本における現代建築が、日本美学から乖離している状態に嘆いています。再度、一即多・多即一の日本特性の禅美学を建築に取り込む作業をしなければならないとも考えています。
芸術は文明を発展進化させ、変革させることができると誰かが言ってましたね。夢に終わらせたくないです。