脱ダム宣言

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最近議論が沈静化しているようですが,そもそも脱ダム宣言は本当に地元住民のためになるのですか?

コメント

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「脱ダム宣言」が役にたつか?か「ダム」が役にたつか?のどちらかで違いますが、脱ダム宣言は公共事業への問題提起として価値があると思います。ダムが役に立つか?については、個別のダムごとに評価が異なるんでしょうね。以前、国土交通省のホームページで当該の欄を見ましたが、「我が国の森林資源の状況は〜」ということで一般論でまとめられており、「個々のダムの計画されている地点条件で異なるんじゃないかなあ」と感じました。

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ダムについて詳しいわけではありませんが,私見を書きます。
ダムを建設した場合の利点としては,洪水の危険が減少する,水の利用(農業用・工業用・飲料用)が可能となる,水力発電ができる,などが挙げられます。(もちろんダム毎に建設目的は違います。多目的ダムが多いですが,単一目的の場合もあります。)
一方ダムを建設した場合の欠点としては,建設エリアの自然が破壊される,ダムによって魚等生物の往来が遮断される,ダムに水が滞留することで水質が悪化する,上流から流れおりてくる土砂がダムで遮断される(下流に土砂が供給されない),などが考えられます。
これら利点と欠点を比較して,建設するべきか否かを議論するのかな,と考えます。

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比較することが同じ軸上ではないことが難しいですよね。
「便利な生活」と「環境保護」、「万一の場合の生命の危機」。
利点と欠点を比較するといよりは、このような要因を全て提示し(都合のよい話だけではなく)、判断は国民にまかせる。ということになるのでしょうか?
空間的にも(ダム設置地付近の人と下流側の人(便益は受けるが環境破壊の影響を感じにくい))、時間的にも(自分の一生の間便利な生活をしたい、孫子の代に豊かな自然を保存したい)
ワイドレンジなこういう課題については、国民一人一人のモラルが試されるということでしょうか。

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「脱ダム宣言」から少々離れてしまいますが、公共事業全般について感想を述べさせてください。脱ダム宣言は、公共事業全般に突きつけられたものとも思えますので。
 公共事業の実施にあたっては、対象地域への社会的影響や自然環境への影響等に十分配慮し、極力弊害をなくすべきことは言うまでもありません。ただ、わが国では、この面を重要視しすぎるあまり、実施しなければ国家の将来を危うくするものまで頓挫しているのが実態ではないでしょうか。その典型は国際空港で、このままではアジアのハブ空港は他国に奪われてしまいます。すでに奪われてしまっているかな?
 これは、政治の努力不足だと感じています。これを実施しないと、国は将来どうなるか、
データに基づき、しかも一般国民にわかりやすく説明し、理解を得ることが全く不足しています。国レベルで必要な事業は全国民に、地方レベルで必要な事業は当該地方住民全員に、事業による正の効果、負の効果、そして費用対効果を、具体的に、わかりやすく説明し、理解を得る努力がもっと必要であると思います。空港の例で言えば、ハブ空港が奪われてしまうというレベルではなく、そうなると国の将来はどうなる、というレベルまで踏み込んだ丁寧な説明が必要だと思います。
政治家が選挙目的で進めようといているような事業は論外ですが、国の将来を左右するような重要な事業が、一部の国民の理解が得られないためにストップしてしまう現状は、どう考えてもおかしいのではないでしょうか。

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「脱田中康夫宣言(樺島秀吉著)」に長野県脱ダム政策に関する話が比較的多くのページが割かれて記述されています。田中知事の脱ダム宣言について、扇大臣が「脱ダムは長野県の選択であるので、中止したダム下流域の洪水被害については、県の問題」とコメントしたことについて、田中知事は「住民の自助努力も必要」とコメントしたと書いてありました。洪水への自助努力とは何なのか?は不明ですが・・。著者の樺島氏は脱ダム宣言は悪いことではないが、ダムに頼らない治水策が(いまだに)議論・検討されていないことが問題との立場です。ダムが中止され、洪水が被害が発生した場合を考えると、ダムがあってもなくてもなんの関係もない大多数の県民の意思により脱ダムが支持されていることに違和感を感じます。長野の脱ダムに限らず、施策決定に関する一般への情報提供の重要性が強く認識されます。