イタリアラクイラ地震裁判への地震学会会長声明

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 地震学会ホームページによると、このたび表記ラクイラ地震に関連して、イタリアの地震研究者を含む7人の政府委員会メンバーが過失致死罪を問われた判決に関連して、会長声明が出されたそうです。
http://www.zisin.jp/
 内容は、要するに「研究者がこのような結果責任を問われる事については強い懸念を感じます。」ということで、「防災行政における研究者の意見表明が刑事責任をもたらす恐れがあるならば、研究者は自由にものが言えなくなるか、科学的根拠を欠く意見を表明することにないかねません。したがって、研究者が防災行政に関与する場合は、その結果としての刑事責任を問われることがあってはなりません。」(地震学会会長声明より)との主張です。
 公式声明ですから単に会長個人のご意見ではなく、団体を代表してのご意見だと考えられます。

 これは真面目に言えば、いささか聞き捨てならぬ、そして皮肉に見れば、その程度の方々だったのかというショッキングな声明でした。
 我々技術者も、科学者が自由な研究を行うことは大切なことと考えますが、科学者といえども公式な発言には責任を持っていただくのが社会の常識だと思いっていました。少なくとも、工学の研究者は大部分の方々がそのように考えておられるでしょう。工学研究者の研究結果が施設の破壊などをもたらしたならば当然結果責任を問われるでしょう。たとえば、研究者の誤りで原発が事故を起こせば責任を問われます。もちろん発言の刑事責任は、予見可能性があったかどうか判断が重要ですが、少なくとも発言の結果多くの死者を生んだ可能性がある場合は当然裁判になるでしょう。
 さらに「・・・研究者は自由にものが言えなくなるか、科学的根拠を欠く意見を表明することにないかねません」とは意味が不明です。
 それはともかく、科学の研究が自由に行われるためには、結果責任を問われるべきではないというのはいささか身勝手ではないでしょうか。

 研究の自由と発言結果の責任とは矛盾するものではなく、科学者といえども発言には責任を持ってもらいたいものですね。
 (地震学会HPではこのような議論の場が見つかりませんでしたので、開けた本会のこの場を使わせてもらいます。)

コメント

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 投稿者の言われること自体はよく理解しますし,私も賛成ですが,地震学会会長声明は研究者の倫理的責任と刑事責任を区別しています。そして倫理的責任があることと,それに照らして謝罪・反省すべきであることを明記しています。その上で,刑事責任を課すことは不当であると抗議しているわけで,私はこれに対して反対すべき理由はないと思います。

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 早速のコメントありがとうございました。
 ご指摘の通り、声明文では倫理的責任と刑事的責任とを区別して、刑事的責任について述べており、私も刑事的責任について述べています。もちろん私は、学会が声明を発表することに反対もしませんしできません。
 
 問題は、「研究者が防災行政に関与する場合は,その結果としての刑事責任を問われることがあってはなりません.」との主張が一方的であり、少なくとも一般市民に誤解を招くだろうということです。
このまま理解すると、「(工学ではなく科学の)研究者は防災行政に関与はさせてほしいが、刑事的責任はとらないよ」ということになります。

 私の確認したかったことは、イタリアの政府委員会がどのような責任と権限を有し、委員の先生が市民に直接発表されたのかどうかが重要で、その関わり具合によって、当然刑事責任を問われることはあるということで、日本でも同じだということです。たとえば日本であっても、もし委員会に決定権があって、その決定の結果で大きな事故が生じた場合など当然刑事訴追はありうるということで、参考人ならともかくも、委員であれば裁判結果によっては刑事的責任を免れられないだろうということです。

 したがって「・・・結果としての刑事責任を問われることがあってはなりません。」と一般的に言い切ることは世間が許さないのではないでしょうか?

 実は本当は声明文は舌足らずの文章(失礼しました)で、学会の先生方のおっしゃりたい事は次のようなことなのではないでしょうか。
「私たち科学者はあくまで研究成果の開陳をもって社会に貢献させてもらいます。したがって委員会の委員として行政に参画する場合はあくまで行政の参考意見を述べるだけで、行動は行政の担当者の判断と責任によって実施される仕組みが好ましい。」と。

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研究者の中でもこのように思う人はいるのですね・・・この研究によるミスが原因で人が死ぬことについては
もちろん「(知っていて)故意」と「単純に知らなかった」という場合で分けられると思います。
前者の場合には高度知能犯罪の領域となり、後者の場合には業務上過失致死となると思います。

全世界的に言えることですが、戦後もクーデターが起こり戦後リベラルが作った憲法や刑法が破壊されています。
特に原子力兵器を導入する際に起こった「革命」において、その後公的秩序が破壊されることが多いです。
例えば日本でいえば法科大学院や新司法試験において公法より私法重視のものに変り、検察が退官後に産業の顧問
弁護士なりになる割合が増えました。これを俗に天下りといいますが、個人的には私法は公法に上回るべきではない
と考えます。私法が公法より上位に位置してしまうと、極端に言えば戦争犯罪や刑事犯罪も賠償金で解決する社会
となってしまいます。そして実際にそういう社会を作るために法科大学院構想が利用された可能性があります。

各国に国際裁判所は多数できましたが、その多くが法的拘束能力を持たないといっているのはこのあたりの民法勢力に
よる疑似的な裁判所という意味合いが強いようです。昨今国会で審議されている民法改正、法科大学院周りの法改正等の
新旧条文を読まれてみてください。民法が過度に産業の利益追求のためにねじ曲げられており、民法自体が刑事法、憲法に
違反するという状況にまで陥っています。ここ数十年日本の検察はなぜか東大の「私法」出身者が採用されることが多かった
のですが、これが平成の原子力再開発(IT革命のことです)で起こされたクーデターによる人事的拘束のようです。

なおこのIT革命は全世界同時のものですから、当然全世界で同様の現象が起きています。この「私法」という概念自体が
ナチス・ドイツでできたもののようで侵略があったときにスパイ勢力が行政に入り込み法律をねじ曲げるようです。
例えば経済分野であっても経済「行政法」と経済「私法」に分類されるようですが、個人的見解では行政が担当すべき
法律とは行政法のみであり、私法は私契約の領域にとどめるべきだと思います。

話はそれましたが、大局的政治背景により司法感覚が「私法」に傾いていたのがITー産学連携時代だと思います。
そして産学連携時代、仕事に責任を持つプロフェッショナルではなくアマチュアの産業スパイが多く専門領域に入り込み
過ぎた時代でもありました。

教育機会を拡大するのはいいのですが、それによってインフラの質を落とすというのは本末転倒でしょう。
今一度技術士資格試験などの科目の見直しなどをされてはいかがでしょうか?昨今起こっている問題としては
土木学会でもそうですが、やはりまた原子力技術再開発(AI)関係の政策が盛り上がっており、これが各国で
ハッキングや周辺での変死などのクーデターがらみの問題を起こしています。また、海外からの技術提供に
頼るということは、その移転元に侵略意図が含まれていた場合には防衛できる見込みがありません。原子力
のみならず、土木技術についても同様のことがいえ、特にインフラ領域に海外企業、海外で開発されたメカニズム
がよくわからない技術を用いるというのは技術植民地にされる危険を備えています。

フランスではテロリストになる若者は人文系科目をきちんと学ばなかった理系の技術者だとまで言われており、
ますます技術者の政治盲は危険になってきています。技術者の人文リテラシーなどの科目で最低限、大局的政治史、
技術防衛問題、原子力関連問題等を踏まえたものを講座を開くなり、技術士免許への必須としていただけると
そのような事故が減るかもしれません。