道路公団民営化―採算性のみで議論してよいのか

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ユーザー 匿名投稿者 の写真

道路関係公団民営化の議論のなかで、採算性の議論ばかりが目につくのが気になります。
明治の先人たちが、現在の鉄道網をほぼ完成させたのは、日清・日露戦争を始めたいへん財政状況の厳しい時代でした。そのようななかで、工夫しながら鉄道建設を進め、我々に資産を残してくれています。
「採算を無視してでも必要なものは作れ」などと言うつもりはありません。採算性が大変重要な要素であることは当然です。しかし、都市生活や物流、人々の交流や医療などに高速ネットワークはまだまだ必要です。
当然のことながら、採算性の観点から厳しくチェックし、料金では整備できないところは税金の投入が必要です。だからといって既存の高速道路から得られる収入を使って整備する手だてがあるのに、それは二の次にしてまず債務返済を第一優先にするのであれば、本末転倒ではないでしょうか。

コメント

ユーザー yamamoto takeo の写真

高速道路の民営化の議論、効率的整備の議論は重要です。同等に、国道県道市町村道の効率的整備の検討も重要と考えます。いい機会だから道路全体の整備方針について議論したい。村道は作るが使っていないことも多いのではないか?
H15.8.17
道栄(株)山本 武夫

ユーザー 小浪博英 の写真

全くその通りだと思います。最近の政治と行政には道路整備のビジョンがなさ過ぎます。今のうちに便利な道路網を構築して、災害に強く産業を育成できる国土を隅々まで作ることは何よりも優先すべきです。ただ、そのために道路公団を活用してというのは短絡で、高速道路タイプでない道路でも整備が済んでいれば、道路交通法を改正して、60キロとか80キロ、場合によれば100キロで走らせることを検討すべきです。交通事故の増加が懸念されますが、運転者の自覚を期待しましょう。
また、もちろん採算の合う高速道路は道路公団で良いのですが、全国プール制で過重な負担を大都市部に課しているとしたら、それは見直すべきでしょう。過重な負担の判断が難しいのですが、国際競争の世の中ですから諸外国を参考にするのも一つの方法でしょう。

ユーザー 宮田 卓 の写真

おっしゃるとおりだと思います。

小泉政権による道路改革の中で,最も(国民的な)議論が不十分だったのが,この「採算性のみで議論してよいのか」という点です。道路四公団民営化推進委員会の中では,他の多くの委員が「財務的効率性」のみに評価基準を置いたのに対し,ほぼ中村英夫先生だけが「経済的効果,財務的効率性,社会的効果を総合的に勘案して決定すべき」と主張しました。以後,この委員会では今井敬氏が委員長の職を辞し,中村先生も欠席しています。

参照投稿
意見交換広場:道路関係四公団民営化推進委員会での議論について

道路における「採算性」とは,通行料金による償還主義,もしくは営利企業による道路事業を前提とした場合の用語です。無料道路の場合には「採算性」という考え方は存在せず,費用対便益という表現になります。

もともと一般的な公共事業のパフォーマンスは,外部経済効果を含む費用対便益で測られるものでしたが,ワトキンス調査団に「信じ難いほど悪い」と評された日本の道路を緊急に整備する必要から「例外的に」導入されたはずの有料道路制度によって,いつの間にか「採算性」という尺度が一人歩きを始め,誰も疑わなくなってしまった,というのが昨今の状況だと思います。付け加えるならば,これは世界でも稀に見る状況ではないでしょうか。

しかし,小泉政権による道路改革の本質は,端的に言えば「高速道路の営利事業化」であり,民営化後の新会社は株式上場を目指すとしています。また,用語は削除されたものの,一時は「恒久有料化」の方針が出ていました。このような営利事業化を前提とすると,やはり「採算性」が最も重要な尺度になっても仕方がないでしょう。

例えば,皆さんが銀行から金を借り,友人から出資を受け,自分の家の前に細長い土地を買って(または借りて),通行料金を徴収する事業を始めるとしたら,真っ先に考えるのは「採算性」ではないでしょうか。もし料金を安くしたら,近所の混雑している道が空いて町内の住民に喜ばれるという現実があるとしても,町会費から補填してもらわなければ値下げするインセンティブは働かないでしょう。あるいは,川に橋を架ければ交流が盛んになって町が豊かになるとしても,通行料収入が増えないならやりたくないでしょう。儲けなければ銀行や株主から叱られますから。

民営化と採算性はセットです。民営道路会社による有料道路事業を前提とするならば,「採算性のみを基準にしない」という考え方は,突き詰めればどこかに矛盾があります。

その矛盾を巧妙に解決する現時点での落とし所が,「四公団民営化+国家による高速道路保有+新直轄方式による(無料)高速道路の整備」となったわけですが,「こんな複雑な制度にするくらいなら,高速道路はすべて直轄事業に切り替えて無料にしよう」という主張が出てきたのは,半ば当然の帰結といえましょう。

ユーザー 匿名投稿者 の写真

道路整備が、採算性のみで議論であってはならないと言う点は賛同いただけるようですが、その後が問題のようです。
まず、以下の点は如何でしょう?
?高速道路の管理と新規投資の一部を民間企業で行なう場合、投資などの判断根拠が採算性とサービス水準向上によること。
?この場合、借入金の返済は、民間企業の場合短いほど優良企業となりますが、料金水準など公共性を考慮するとある程度長期、例えば30年、40年を最低限としないと国民にとっては困ります。(金利変動などのリスク負担まで民間会社に持たせるかどうかなどの細かい問題はこの際はしょります。)
?以上の前提で、民間会社(グループ)が対応できる高速道路延長Akmが決まります。
?一方国民経済や、国土開発、国民福祉、地域社会的要素などの総合的判断から必要とされる高速道路網、それを高速道路の予定路線を含む延長11520kmとすると、11520−A=Bが国の直轄道路などの手法で作られるということになります。
さほど複雑ではないでしょう。
もし、すべてを無料道路にしようとすると、多大な税金の追加負担を国民に強いることになり、またその負担方法は、何を根拠に決めるのか、高速道路を使わない人からも多大な税金を取れるのかとかはるかに複雑な議論をしなければならなくなると思いますが、如何でしょう?
(森 靖之)

ユーザー 宮田 卓 の写真

?〜?については民営化後の整備手法の説明ですので,特に異論はありません。

ただし,これをマスコミや一般の国民の一部は,道路を造りたい人たちの都合のよい論理で,従来の制度を巧みに延命したと感じている節もありますので,一般の国民の視点に立って説明責任を果たす必要がありますね。

問題は,小泉政権による道路改革が,「初めに公団民営化ありき」でスタートし,道路整備のビジョンをほとんど論じていないことにあります。

例えば,今日では日本のほとんどすべての国民は,直接・間接に高速道路の便益を受けていますが,そうしたことを前提としてきちんと説明し,「有料高速道路を堅持するか,税金による負担に切り替えるか」「税金による負担増をいくらにすれば,通行料金はいくら安くできるか」といった議論を,一度でも国会の場で行ったでしょうか。

複雑な議論,大いに結構だと思います。現在の日本は,東名や名神の時代とは異なり,世界的に見ても民度の高い先進国,かつ高度な情報社会になりました。さまざまな代替案を示しながら,政策決定のプロセスに一般の国民が参画することは十分に可能ですし,逆にそれをしないと禍根を残すことになります。

ユーザー 岡崎康生 の写真

最近 高速道路の無料化が議論されますが 全く理解できません。
高速道路を無料にすれば いま混雑している地域では 高速道路も一般道路も含めて 満遍なく混雑するようになるだけで 道路のシステム全体の効率性は 著しく低下してしてしまいます。何故ならば 我が国では 道路の整備量が絶対的に不足しているからです。我が国の道路の整備水準は 欧米に比べて 1/2から1/3程度。大都市圏に 高規格な環状道路が 一本も完成していないのは アジアの主要国も含めて 日本だけです。このような状況では 料金によって交通を適切にコントロールし 同時に その収入をもって不足した道路の整備を進めるという 有料道路の制度は 大いに有効だと思います。
ドイツのアウトバーンの有料化や ロンドンの入市税など 先進諸国の流れは むしろ今 料金によって交通をマネジメントしていく方向にあります。道路整備の遅れている我が国では 更にきめ細かい料金のかけ方を研究し 交通流の効率化を目指すと同時に 今後一層 道路整備の遅れを取り戻さなくてはなりません。このような時に 高速道路の無料化など 論外です。
 

ユーザー 宮田 卓 の写真

こちらに投稿します。)

ユーザー 和田勝義 の写真

提起された道路の問題を拡張して見解を述べさせていただきます。何故なら、提起された問題に対する直接の返事は問題を矮小化し、或いは感覚的な議論にし、十分根拠のない無責任な発言になりがちになると懸念したためです。私たちの直面する根幹的な問題として広く議論し、やがては土木学会が正式見解を取りまとめ、世に発信すべきであると考え、問題の提起を活用させていただいたことを先ず初めにおことわりいたします。

1.提起された問題は次のような側面を有しているように考えます。

(1) 日本の財政は極端に悪化しています。この状態を子孫に引き継ぐわけにはいかないので改善・改革が必要です。
(2) この悪化の源泉が公共事業にあるとして決め付ける政治的団体の発言と一般市民レベルの意見が大きい社会的潮流を形成しています。このような社会環境での時流に乗った発言はいつの時代でも勢いを持ちやすい傾向があります。
(3) これに対して「道路建設期成同盟」といったような形での政治的反対の声はあるが、第三者的な冷静な立場から論理的に整合性を持った発言は少なく、またあったとしても現在の社会風潮の中では冷静に受け止められない社会状況があるため、発言は極端に少ないように見受けられます。
(4) 即ち必要か否かに関する本質的な議論が十分になされないで、問題が限りなく政治化しており、これは誰かが歯止めをかけなければならない状況に至っており、このため一つの手段として、土木学会の公共事業に関する正論の発信が期待される状況に至っている、とも考える昨今です。
(5) 尚、提起された問題に関する議論は公社公団の民営化云々といった問題までは広げず、議論の発散を防ぐため、「社会基盤の整備・新設問題に関する行くか、行かないか」の妥当性(Feasibility)を如何に考えるべきか、といった問題として絞った議論がなされるべきである、と考えます。
(6) 言い換えるなら、構造改革のような議論に踏み込まなくとも、「行くか、行かないか」の問題は「妥当性」の議論でかなりの程度まで対処できると考えるものです。

2.私は次のように考えます。

(1) 社会基盤の整備・建設においては、利便性、地域の持続的な発展(少なくともその地域の人口が減らない魅力をもつ)、国土全体からみた社会基盤の最適化、環境側面、費用等はトレード・オフの関係にあり、地域全体の設計(グランド・デザイン)があり、徹底的な情報開示があり、国民を含むステークホールダーが、このトレード・オフの関係をしっかりと理解し、選択をする手段を提供することを当然として受け止める時代にいる認識は我々にとって必要と考えます。
(2) 海外で仕事をやる時は、通常その案件の財務、経済、技術、環境(広範囲で居住移転も含む)、住民合意(パブリック・アクセプタンス)といった問題の妥当性の検討、所謂フィージビリティー・スタディーを行い、スタートするかしないかを行う明確なプロセスがあります。わが国でもあるにはあるが、財務・経済、特に財務のフィージビリティーがこれまで若干甘さがあり、環境や住民合意でかなり厳しく検討(最近はいろいろなステークホルダーが参加)しているほどの厳しい検討のプロセスが財務のフィージビリティー・スタディーにおいて取られてきたただろうか、といった若干の反省があるように思えます。
(3) さらには、公共事業には定量化できる便益とできない便益(Intangible benefit―IB)があります。IBに工夫をこらし定量化することにより、説明能力を補填する手法の採用も公共事業の妥当性検討に対し有効であり、より公正で且つ説明責任を補強する判断材料を提供することができます。このためこの分野は今後はさらに磨きをかけなければならない技術分野の一つである、と考えています。
(4) このような幾つかの点が問題提起されたものと広義に理解します。
(5) 日本の現在の財務状況から、これまで以上に財務問題は厳しく問われることは避けられません。そのためにもこの点に関し、さらに明確な個別案件の財務フィージビリティーの検討方法が確立され、その結果と他の検討項目の結果に基づき「行くか、行かないか」が議論できるまでになる必要が最低限あります。
(6) この点に関しては、最近新聞報道のあった第四滑走路を含む羽田空港の再拡張事業はいろいろ問題を抱えながらも、財務設計において、総事業費9,000億円のうち、3、000億円をPFIで調達するとした案などは示唆に富むものと思っています。従来通りでできなくても、工夫をすれば、いろいろな手段があり、必要なものを実現する道は見つかる、という面白い時代が到来しているとも言えます。
(7) 公共事業は本来採算性のない事業を推進し国民の福祉をはかり、地域の活性化をはかり、さらに国力の増進を目指すものであり、ご指摘の如く「採算性の議論ばかり」であっては不健全と言わざるを得ません。
(8) それであるが故に、財務フィージビリティーの検討が公共事業には必要とされない、というわけではありません。
(9) 例えば、東京周辺を数回自動車で走ってみれば分かることだが、明確にいつも詰まるところが指摘でき、そのために、改善されるべき点が結構沢山あることは多くの人の認識するところと思います。地方においても、一日も早く道路が通れば、村は、町は、或いは市が活性化するのだが、といったところもあります。
(10) しかし国の財政状況への配慮はこれらのような公共事業であっても聖域にはなり得ないことは当然です。逆に公共事業であるため、より慎重な配慮を必要とされる時代であるとも言えます。
(11) その為に、直面する閉塞感を緩和し、現状を活性化し、さらに子孫に残すべき社会資本の整備・建設を進めるために、どのような方向で公共事業(この場合は道路)に取り組むべきかを、手法も含め、土木学会は世に発信すべき時期を迎えていると思うものです
(12) 本問題に関する今後の議論が拡大することを意図し、意見を述べさせていただきました。

ユーザー 岡崎康生 の写真

道路や公共事業の評価は、単なる採算性や効率性のみで行ってはならないということは、ご指摘のとおりだと思います
 世の中、景気が悪いので、「節約しなければ」、「無駄なことはやめよう」という気持ちは解りますが、何を節約し、何をやめるかは、よく考えなければいけません。
 今から30年程前、アメリカは、貿易赤字と財政赤字のダブルの赤字に悩んでいました。その対策として、アメリカ人らしい、大胆な公共投資の削減を行いました。維持管理費も含めて大幅な削減をしたので、道路や橋などの公共施設が、広い範囲で傷んで機能低下し、アメリカ経済は、なお一層悪化しました。
 この危機を訴えたのは、地方議会の人達で、「荒廃するアメリカ」という報告書の中で、「これ以上社会資本整備を停滞させると、アメリカ経済は、二度と立ち上がれなくなる」と訴え、その主張を、連邦政府も受け入れました。レ−ガン政権時代、ガソリン税を増税してまで、再び社会資本整備に積極的に取り組んだのです。その結果、アメリカは立ち直り、逆に、日本は今日のような状況です。
 現在の日本の社会資本の整備水準は、どんな指標を見ても、30年前のアメリカより劣っています。将来のため、国の基盤整備に、もっともっと投資しなければいけません。目先の経済が苦しいからといって、一番大事なものまで切ってしまっては、日本は二度と立ち上がれなくなってしまいます。国民みんなで、もう一度よく考えるべきだと思います。